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100kmウォーク大会を完歩して得たものは〇〇〇だった・・・

■1

兵庫県芦屋市楠町(くすのきちょう)。
今となっては全く想像もつかないが
マンションに囲まれた
国道2号線沿いに
今から約700年弱前(西暦1336年)に
「楠木正成」と「足利尊氏」が戦った
合戦跡碑がひっそりと立つ
小さな公園がある。

その公園の名を
「楠(くすのき)児童遊園」
と言う。

私は
その公園の名前を
一生忘れないことだろう。

芦屋市楠町に所在する楠児童遊園。
関西エクストリーム・ウォーク100の際の
77キロ地点の第4チェックポイントでもある。


■2
2022年10月23日、日曜日。
早朝5時37分。
私は
満身創痍で
その公園に辿り着いた。
 
この公園は
第4チェックポイント。

前日の朝8時台に
姫路城の公園を出発し
100km先の大阪城公園を目指して
26時間以内に歩くという
『関西エクストリームウォーク100』に
私は参加していた。

スタート地点の姫路を出発した後は
加古川市、明石市、神戸市と
3か所のチェックポイントを経ながら東進し
そして今やっと
4つ目のチェックポイントに
辿り着いたのである。
 
もうすぐ西宮市
その次は尼崎市
そして
その先はいよいよ
大阪城公園のある大阪市
である。

しかし
戦いには「ふいの終わり」もある。
 
両脚が鉄の棒のようになって
辿り着いた私に
大会の運営スタッフさんの
一人が近づいてきて
優しく声をかけてきた。

「お疲れさまでした。
 残念ですが
 関門時刻が5:00ですから
 5:37着ということは
 37分のタイムオーバーで
 リタイヤ扱いとなります。
 ナイスファイトでした。」

10月下旬の割には
夜間の歩行中も全く寒くなかったのに
終了宣告をされた途端に
私は寒気を感じ
持参していたレインウェアの
上下をリュックサックから取り出して
着込んだ。

77km地点か・・・。
やっぱり、アカンかったか・・・。

最初から100km完歩できるとは
思っていなかった。
 
翌月の東京大会にも
エントリーしていたので
今回の関西大会はいわば
前哨戦、練習だ・・・
と、それくらいにスタート前は思っていた。

しかし、あと23km。
もう少し途中で頑張っていれば
何とかなったのではないか?

「後悔先に立たず」
とは正にそのとおりで
出てしまった結果は
どうしようもできない。

最寄りの駅をスタッフさんに尋ね
帰途につくため
電車に乗り込んだ。

(悔しい・・・)
 
早朝かつ日曜日という事もあり
車内の乗客は『まばら』であったが
目から自然と
熱いものが頬を伝い落ち
既に汗まみれになったタオルのせいか
拭いても拭いても
その熱い流れを拭き取ることができず
周囲の乗客の目を気にしつつも
しかし
この自然現象を
どうすることもできなかった。
 
難波駅で降りて乗り換える筈が
気が付いたら寝過ごして数駅先まで
電車は進んでしまっていた。
 
「今度こそ、必ず・・・」
 
眠気と解放感と悔しさが入り乱れる
複雑な精神状態ではあったが
それでも、心には<確実なモノ>があった。

私は
次回完歩への決意を固め
まもなく到着した駅のホームに降り立ち
家路へと急いだ。

終戦宣告を受けた後・・・。
真顔にしかならなかった。

■3
そもそも自分は
こんなストイックな大会に
出るようなキャラではない。

しかし、元々は「熱血派」である。
野球部・吹奏楽部・キャンプリーダー活動など
学生時代は一応人並みに色々と経験させて頂いたが
活動内容そのものよりも
むしろ、仲間と共に何かを目指して
真剣に取り組むことが
自分は好きであった。

しかし
税理士になってちょうど20年。
 
すっかり中年の社会人となった自分は
かつてのような熱い気持ちを忘れかけていた。

記憶の中では
「自分は熱いタイプの人間である」と
言えるのだが
現状として、それを実感するものが
何もなかった。

それに対して
心のどこかで
熱中できる場・機会を
探していたのかもしれない。

2年前の2020年12月。
私は
「一般社団法人 思考の学校」の
認定講師の資格を取得した。

中小企業経営者と向き合う
税理士の仕事をしていく中で
税務や数字とは異なるアプローチ
でも支援ができないものか
・・・それがきっかけであった。

その後
同じ講師仲間さんたちと
ロンダ・バーン著の
「ザ・マジック」という書籍の
「28日間ワーク」を
実践する機会が与えられた。

日頃見落としがちな感謝について
28日間かけて
「ありがとうワーク」をするのである。
 
このワークの面白いところは
過去の成果や出来事に対して
感謝するだけではなく
自分の思い描く未来に対しても
先に「ありがとう」と
感謝をする点だ。

その28日間ワークの中で
私は
ある未来を設定し
それに感謝した。

それは
「大学時代のキャンプカウンセラー仲間のT君と
 アウトドアー活動などを楽しむことができて
 ありがとう」
・・・というものだった。

その後すぐ
不思議な出来事が起きた。
 
その友人は関東に住んでいるので
関西に住む自分とは
普段会う機会がない。

電話等も
特にやり取りしていた訳ではない。

大学生時代
キャンプカウンセラー活動で
同じ持ち場となり
気さくで
大ざっぱで
イタズラや冗談が好きで
しかし
信頼のおける人柄が魅力的な
人物であった。

複数のサイトを持つ大きなキャンプ場だったので
そこで従事する大学生たちは百名以上いたと思うが
あまりにも人数が多すぎて
他のメンバーのことはあまり覚えていない。
しかし、T君のことは
よくイタズラも一緒にしたので覚えていた。

東京エクストリームウォーク100、大会当日。
二人ともふざけるのが好きだ。



■4
話を元に戻す。
 
ある日
T君がSNSに投稿した記事が
私の目に留まった。

「コロナも落ち着いてきたので
 今年の7月下旬、久しぶりに富士山
 に登ろうと思います。
 一緒に登りたい人はどうぞ」
と言うような内容だったと思う。

私の中で
イナズマが走った。

「奇跡や!」と思った。

私はすぐ
T君に連絡を取り
一緒に富士山に登りたい!
と参加を申し出た。

T君は、昔同様
快く、きさくに受け入れてくれた。

■5
2022年5月。
私の富士山初登頂へ向けた
取り組みが始まった。

これまで日々深夜まで仕事をし
食事も不規則で不摂生で運動不足。
おかげで身長171cmなのに
お腹はタヌキのように膨れ
体重も83kgと
完全に中年太り。

到底、現状では
富士山に登れるような
カラダではなかった。

一念発起した。
 
近くのパーソナル・ジムに入会することにした。
よくある集合形式の
月1万円でいつでもどうぞ!
と言うような
お手頃価格ジムではなかったが
決意を確かにするためには
あえて、少々高くても
しっかりとしたコーチングを受ける
そのためには
払うべきものは、払う
という覚悟も必要であった。

ジムのコーチに
7月末に富士山に登りたい旨を伝え
以降、それに向けて週イチの
トレーニングが始まった。
 
毎日食事の写真もLINEで提出し
食事管理指導もしてもらった。

ジム以外では
近場の山に登ったり
近所をウォーキングしたりと
運動量を増やすことに努めた。

今までは
深夜に帰宅してはスナック菓子を食べたり
カップラーメンを食べたりする日々が
長らく続いていたが
悪習慣も、きっぱり辞めた。

ダイエットだけが目的なら
キツかったかもしれない。
途中で挫折していたかもしれない。
しかし
「富士山」という大きな目標ができたことで
日々の生活が突然ワクワクし始めた。

仕事先でも
富士登山に向けて
取り組んでいる話をすると
意外や意外
多くのお客さんが
なぜか異様に喜んでくれて
そして、応援してくれた。
 
また、今までは仕事の面だけしか
知らなかったが
「以前は、よく山登りに行っていたんだ」などと
意外にも山登り好きな社長さんが
多いことも改めて知った。

今までとは違う
また新たな共通話題ができたようで
仕事の先々での会話も楽しくなった。

ジムの先生と

■6
2022年7月30日。
富士登山の日がやってきた。

T君、そして、
主にT君の会社のメンバーなど総勢9名。

夜8時に須走口5合目をスタートし
山小屋に泊まらない<日帰り弾丸登山>という
ストイックな形で我々は山頂を目指した。
 
薄くなる空気。
動かなくなる足。
高度を増すごとに
1歩を出すのも大変で
0.8歩が精一杯。
しかも、20歩進んだら休憩。
 
多くのメンバーは経験者だったが
初心者の自分を気遣って
山頂に至るまで
「ゆっくりでイイですよ」
「必ず、登頂できますからね、焦らなくても大丈夫ですよ」
と常に励ましながら
自分と共に歩いてくれた。
 
そして
ついにその時はやってきた。
登山開始から11時間後の朝7:00。
 
汗と涙でクシャクシャの
顔になりながら
登頂を果たした。

持参した日の丸をかかげて
記念写真を皆で撮った。

途中で見た星の美しさ。
途中で食べたカップヌードルのうまさ。
支えてくれたメンバー。
山頂からの眺め。
 
自分は
一生忘れることのできない
貴重な体験を
T君とT君の仲間のおかげで
味わうことができた。

下山時の須走ルートは
登り以上に大変過酷で
11時間の登りで疲れ切った足に
まともに下りの負担が襲ってきた。

足が痛い。
つま先の感覚が完全にない。
つらさのあまり嫌気がさして
私は始終、悪態をつきながら
歩いていた。
「もう二度と富士山には登らない!」と。
 
それでもT君は
「あともうちょっとや、あともうちょっとや」と
私を安心させるために
<気遣いのウソ>
を連発しながら
最後の最後まで
一緒に歩いてくれた。
 
(今思えば
 富士登山に慣れている
 T君ではあったが
 彼は膝に爆弾を抱えており
 彼自身も大変だったのだが
 その時の私は
 そんな配慮の1つもできる
 精神状態ではなかった)
 
私の下山ペースが
あまりにも遅かったので
他のメンバーは先に登山口まで下り着いており
私とT君だけが
最後の下山者となった。
 
下山だけでも
4~5時間かかったかと思う。
しかし、下山の所要時間は
あまりよく覚えていない。
キツすぎて写真等の記録もなく
記憶に頼る限りだ。

しかし
T君が下山中だったかに
話してくれた言葉は覚えている。

「この年になると
 チャレンジする機会が減ってくる。
 でも、チャレンジ精神というのは
 いつまでも持っていたいもんや」と。

この日の感動は生涯忘れないだろう。

■7
富士山から帰宅した翌日。
足はガクガクになっていた。
ペンギン歩き、と言うらしいが
家の階段の上り下りも大変だった。
 
しかし不思議なもので
昨日は「二度と登りたくない」
と思ったばかりなのに
改めて撮影した写真を眺めていると
確かにキツかったが
とても楽しくて貴重な経験
であったことに
改めて気付かされた。

「来年も登りたい・・・」

下山中はあれほど
もうイヤだと思ったのに
味わった感動の方が
はるかに上回っていた。

しかし
来年の富士登山まで1年ある。

さて、それまでどうするか・・・。
新たな目標をどうするか・・・・。

そんな折
「100kmウォーク大会」という
過激なレースがあることを知った。

10月には関西大会が
11月には東京大会が
あるという。
 
「これだ!」
と自分は思った。

富士山のおかげで
すっかりチャレンジ精神に
火がついてしまっている。

しかし
一人で参加すると<あきらめる自由度>が
高くなりすぎるので
<巻き添え>が必要だ
と思った。

私は
すぐT君に連絡をした。
 
最初は渋っている様子だったが
「俺のチャレンジ精神に
 火をつけた責任をとれ!」
と、今思えば
何とも身勝手な因縁をつけて
T君を脅迫したものだ。
 
結果、T君も
11月の東京大会に参加することになった。

しかし、それだけでは自分は飽き足らず
その前月の10月に開催される関西大会にも
エントリーしようと思った。
前哨戦、予行演習になれば
と考えたからである。

私はそこでも
巻き添えが必要だ
と思い、マラソンを始めていた
高校時代からの友人に声をかけて
快諾を得た。

このようにして
2022年7月30・31日の二日間で
富士山初登頂を終えた私は
次なる目標として
〇10月の関西100kmウォーク大会
〇11月の東京100kmウォーク大会
を設定したのであった。

完歩率が約75%であった両大会。
平易なのでは無い。
参加者のレベルが非常に高いのだ。

■8
セミの鳴き声がうるさい8月上旬。
「ウォーキング」と言っても
散歩くらいのイメージしか沸かない。
しかも、今は暑い夏である。
ストイックな練習には
あまり気が進まないが
取り敢えず
YOUTUBEやインターネットで
過去大会の情報を漁った。
しかし、それらから得られた結果は
<100kmウォーク大会は並大抵のものではない>
というものだった。

一瞬、10月と11月の2大会にも
エントリーしてしまった自分を後悔しかけたが
友達も誘った以上、後には引けない。
(まさに、巻き添え効果、である)
 
先日、富士山初登頂を
喜んで下さったばかりのジムの先生に
「今度は秋に
 100kmウォーク大会に出たいので
 それに向けて
 足の強化メニューで指導して欲しい」
と、お願いをした。

先生も
最初はビックリした様子だったが
その日からネチネチと
まるでいじめられているかと
錯覚するほどの
下半身を痛めに痛めつける
トレーニングが始まった。

それと共に
〇シューズやソックスの重要性
〇歩き方
〇歩く時の姿勢など
学ぶべきことが多くあることを知り
まさに知識ゼロからの状態で
取り組み始めた。

日常的なウォーキングも
近所を2時間程度では全くダメだと思い
足腰に効果のある登山をトレーニングに併用しながら
そして、なんなら
クルマで行っていた登山口までの道のりを
往復歩くように変更した。

自ずと、歩ける距離が
5km→10km→20km→30kmへと
徐々に伸びていった。
そして
関西大会が開催される3週間前には
実際の100kmコースを
2週末に分けて50kmずつ歩き
これでなんとか出来る限りの準備は
整ったのではないか
と思えるようになった。

本番に向けた練習走行。兵庫県明石市、明石海峡大橋にて。

■9
2022年10月22日、土曜日。
関西エクストリーム・ウォーク100。
いよいよ大会当日の朝を迎えた。

高校時代の同級生とは
姫路城の近くに
前泊して臨んだ。

しかし
初めての大会が故
色々と面食らうこともあった。

友だちと私とでは
スタート時間が30分ほど違っていたのだが
後発の私はすぐに追いつけると思っていた。
しかし、ウォーキングで30分差はかなり大きく
さらに、日頃からマラソンで鍛えている友人と
たった数か月の付け焼刃の自分とでは
雲泥の差があった。
「あとで追いつくから」なんて
最初のセリフに反して
結局、最後まで追いつけなかった。

スタート前の独特の緊張感。
スタート後の異様な焦り。
それに加え
あらゆるケースに対応するべく
持参しすぎた装備のせいで
リュックサックが
<ヘビー級>と化していた。
 
参加者の多くは
非常にコンパクトな装備で
相当小慣れしている感があった。
 
日焼けした肌の色を見ても
百戦錬磨の猛者ばかりに思えた。
(実際、参加者の多くは
 各地の100km大会に出たり
 マラソン大会に出たりと
 かなりの猛者ばかりであった)

練習走行と称して2週に分けて
事前に50kmずつ歩いた時とは
勝手が全く異なり
結果的には
ペース配分も休憩時間も
全く自己管理が出来ていなかった。
 
マラソンで鍛えている友人ですら
初参加の100kmウォークは
要領が得なかったようで
制限タイム26時間の
ギリギリのゴールとなった。

私の方は・・・。
 
最初に書いたとおり
77km地点の第4チェックポイント、
芦屋市楠町で終戦となった。

しかし
よくぞ11月の大会も
前もって同時に申し込みを
していたものだ。

やはり百聞は一見。
実際に大会に出てみると
非常に多くの反省点・改善点を発見できた。

そして何よりも
「関西大会は練習だから
 100km歩けなくてもいいや」
という当初の気持ちとは裏腹に
悔しさでメラメラと燃えるものが
湧き上がってきた。

それと共に
私にチャレンジすることの大切さと
素晴らしさを改めて教えてくれた
T君と共に
東京100kmを完歩したい!
という思いが強くなった。

今回、関西大会に
付き合ってくれた友人にも改めて感謝した。
この高校時代からの友人は
私が結婚する際
婚姻届の証人として
署名をしてくれた親友でもある。

次回は、絶対に完歩する!
・・・そんな思いが一層強まった。

関西エクストリームウォーク100、出発直前。
高校時代の同級生の彼は、ダジャレ王でもある。

■10
10/22-23の関西大会を終え
次の東京大会(11/12-13)まで
あまり日にちが無い。
 
しかし、最大の改善点である
「装備の軽量化」と「時間配分(ペース管理)」は
絶対、事前に克服しておきたいと思った。
 
リュックサックは
一般的な20リットルサイズから
ランニング用の小さなサイズへと変更し
街中を歩くのだから道中で買える物は
荷物になるので持参しないことにした。
 
また、ペース管理には
スポーツウォッチが便利だと考え
以前から気になったていた
「ガーミン」
を買い求めた。
 
さらに
シューズも見直した。
asicsストアで人生初の
<足の計測>をしてもらい
3種類のシューズを追加購入して
トレーニングで試しながら
自分の足に一番フィットするものはどれか?
と、比較検討した。

練習時
街歩きは飽きやすい性分なので
やたらと山に登った。
しかし、楽しみを忘れて
あまりストイックに
傾倒しすぎるのもいけないと思い
娘・息子そして愛犬サクラも
トレーニング登山に
付き合ってもらった。
山頂で子どもと一緒に食べた
お手製のシンプルなラーメンの味は
絶品だった。

そうこうしている内に
東京大会がすぐ目前へと迫ってきた。

愛すべき娘、息子、そして、サクラと共に。

■11
東京大会では
必ず完歩したい強い想いが
自分にはあった。

富士山をきっかけに
チャレンジ精神を改めて教えてくれた友人
および、関西大会に付き合ってくれた友人。

山に頻繁に登っていたかと思えば
「今度は100km歩く!」と
突然訳の分からないことを言う
こんな自分を、温かく見守ってくれた家族。
そして両親。

チャレンジを自分ごとのように
喜んで応援してくれたお客さん。

多くの人への感謝の気持ちと
多くの人からのエールが
自分の中で力となっていた。
 
さらに、言えば・・・
8月に火災に遭い
店舗を焼失してしまったお客さんの
「復興祈願」の意味もあった。

だから
関西大会での挽回を
是非とも東京大会では果たしたかった。

しかし
もっと、もっと
自分の中の本音を掘り下げて見てみると
完歩したい一番の理由は・・・
「中途半端な自分に終止符を打つこと」
「しんどいことから逃げるクセを辞めること」
・・・であった。

これまでの自分の人生は
自己分析するに
往々にして中途半端だった。

〇行きたくもない大学への進学。
〇アメリカの大学への留学後の
 英会話の放置と再度の渡米の断念。
〇本当になりたくてなったのか
 やや疑問な税理士への道。
〇人間関係がイヤで足抜けをした
 税理士会の役員の世界。
〇新たに業務に取り入れようと学び始めた
 マーケティングの数年での離脱。
〇講師資格を取ったものの全然活動していない
 「思考の学校」の講師業。
〇結成したもののコロナ禍で
 完全に止まっている焚き火サークル。
〇一から作り直そうと取り組み始めた
 ホームページの停滞

自分は
結構あれこれと興味の対象が幅広い。
そして
向上心や知識等の吸収欲も
比較的強い方かもしれない。

が、しかし
それが両刃の剣でもあり
〇全うしているか?
〇完全消化しているか?
〇途中で投げ出していないか?
と尋ねられると
どれもこれも大抵は
中途半端なのだ。

しかも
自分への要求が高くて
並大抵のことでは自分に納得がいかない。

「完璧主義」とは少し異なるが
自分を追い込んで
自分に圧をかけるその程度が
半端ないのである。

言わば
日常的に自分に対して
<落伍者の烙印>
を押しているようなものだ。

さらに
年齢を重ねてくると
「要領」や「言い訳」ばかり上手になり
〇チャレンジする
〇最後まで成し遂げる
という事から逃げてきていた。

だから自分は
「できた!」
「成し遂げた!」
という成功体験が
どうしても欲しかった。

コース途中で足の施術をするT君。関東に住んで長い割には関西弁が抜けない。

■12
2022年11月12日、土曜日。
いよいよ
東京エクストリームウォーク100の
本番を迎えた。

前々日の夜に
関空付近のホテルに泊まり
翌日の早朝便で
羽田へ飛び
羽田からは電車で
スタート地点の小田原駅まで移動し
駅前でレンタカーを借りて
コースの前半部分までを下見走行した。

関西大会から短期間ではあったものの
出来る準備は全てやったつもりである。

当日朝のスタート会場。
前回の姫路では
一種異様な空気感にプレッシャーを感じたが
今回は全くそのようなものを感じなかった。
共に歩くT君も前夜遅くに小田原入りし
朝、元気な顔で富士山以来の
久しぶりの再会を果たした。

そして、8:20。
いよいよ、スタート!
富士山仲間も駆けつけてくれて
笑顔で手を振って出発した。

制限タイムは26時間。
翌朝10:20がタイムリミット
という事になる。

そして、結果は・・・
FACEBOOKでも投稿のとおり、
制限時間3分前の
10:17にギリギリゴール!
念願の完歩を果たした。

道中、富士山仲間が何人も
応援に駆けつけてくれ
大いに力をもらえた。

FACEBOOK上でも
多くの方々が応援メッセージを
下さって、勇気がでた。
 
ZARDの「負けないで」を
送ってくれた友人もいて
歩きながら
嗚咽しそうになった。

しかし・・・。
いざゴールしてみて・・・。
 
事前の自己予想では
「あれだけ頑張ってきたのだから
 絶対に感動して涙するだろう!」
と思っていたのだが
実は・・・あまり感動は無かったのだ。
 
正しく言えば
当初予想していた感動よりも 
むしろ、もっと大きなモノを
私は得た。

コース上での声援は本当に力になる。

■13
~東京100kmウォークで得たもの~

少なくとも今回の結果は
自分にとっては「偉業」
であることに違いない。

一生懸命頑張って
努力して
やっと成し遂げたのだから。

しかし、正直、自分は
そういう気持ちではなかった。
 
それはなぜなら
自分にチャレンジ精神のすばらしさを教えてくれた
共に参加したT君が
残念ながら、持病である足の不具合が悪化し
86km地点でリタイヤせざるを得なかったからだ。
 
途中、ペースダウンをするT君と別れ
単独歩行に移行せざるを得なかった。
まるで<戦友>を置き去りにして
進軍するかのようで
胸が締め付けられた。
 
そして、独りでゴールをしてみて
自分は思った。

「ちがう。
 オレが欲しかったものはこれじゃない」
・・・と。
 
自分は
自分だけの達成感が欲しいがために
取り組んできたのではなかった事に気づいた。
共にゴールをして
共に喜びを分かち合いたかったのだ。
 
T君とは、来年、
共にゴールしたい。
感動の涙は
それまで取っておくことにしよう。

完歩者に頂ける記念品

■14
さらに、それだけではない。

長時間、究極の心理状態で歩く中、
1つ大きな気づきがあった。

「自分が中途半端って・・・誰が決めたんや?」
「本当にそれは悪いことなのか?」
「自分は全く努力をしてこなかったのか?」
・・・と。

誰かに
「頑張っているね」
「すごいね」と褒めてもらえることは
いくつになっても嬉しいものだ。
 
しかし
他の誰かではなく
一番身近でありながら
最も自分自身を認めてこなかったのは
「自分自身」であった。
 
チャレンジした事や
取りんだ事には
一切プラス評価をしないくせに
「途中で辞めた」だの
「中途半端」だのと
結果だけをクローズアップして
これまでさんざん酷評し
キツく接してきたのは
「自分自身」であった。
 
だからこそ
「自分で自分を誇れる何かが欲しい」
「達成感が欲しい」
と思い
これまで色々な事に
取り組んできたのかもしれない。

そういえば、以前
自分が尊敬する、ある人から
教えられたことがある。
========================
大したことでなくてもイイんです。
スゴくなくてもイイんです。
朝寝坊せずに起きれたぞ、とか、
小さなことで全然イイんです。
小さくて些細な1つ1つを
しっかりとご自身で認めてあげて
しっかりとご自分を褒めてあげてください。
今までは、不安から、重い鎧を着込んで
身を守っていたかもしれませんが、
そんな重い鎧は脱いで
小さなありのままの竹岡さんになったら
もっともっと素敵な竹岡さんが現れますよ。
==============================
・・・そんな言葉が思い出された。

祖父が倒産した。
そのせいで両親も自分たちも苦労をした。
兄も仕事が安定しない。
おれが頑張らんとイケナイ・・・。
おれが支えないとイケナイ・・・。

そんな風に
プレッシャーばかりを
自分にかけるものだから
自分が休むことすら「悪」(アク)となっていった。
だから
土日関係なく、深夜まで仕事をする。
お客さんを守らないとイケナイ。
おれがしっかりしないとイケナイ。
でも、他人に自分の弱い姿は絶対に見せたくない。
 
そんな調子だから
数年前、2度連続して
過労で意識を失い、倒れたのだ。

「このままではいけない」
と気付き、人生の再起を図って
また新たな取り組みを始めたものの
それもまたイマイチしっくりこず
「またお前は途中で投げ出した!」
と自分を酷評する結果を
再び招いてしまっていたのだった。

レース中はむやみに座り込むと立てなくなる。
しかし、疲れ果てた後半は立っているだけでも苦痛。

■15
ゴール前のラスト14km区間は
ふとそんなことが頭の中を
グルグルとしていた。

「おれは、スーパースターにでもなりたいのか?」
「おれは、スーパーマンにでもなりたいのか?」
・・・当然、答えは「否」である。

世の中の人すべてが
全てのことを100%完璧に達成しているのか?
 
仕事・技術・料理・習い事・趣味。
すべてのことを世の中の人はみな
完璧にマスターしているのか?

どちらも当然、答えは「否」であろう。
 
〇おれは、今まで、
 何になろうとしていたんやろう?

〇おれは、自分をそこまで追い込んで
 何と戦ってきたんやろう?

・・・ふと、そんなことが頭をよぎった。

すると、ふいに、
自分に伝えたい言葉が浮かんできた。

●今まで、無理して頑張ってきたんやな
●しんどかったな
●誰にも相談できず、つらかったな
●気づいてあげれずで、ごめんな
●きつかったのに、さらに追い込んで、
 しかも酷評ばかりして全然認めてあげず、
 プレッシャーと不安ばかり与えてきて
 ほんま、申し訳なかった・・・

そして、改めて、100kmを完歩してくれた
自分自身のカラダに対して、
猛烈に感謝したくなった。
 
もちろん、丈夫に生んでくれた母親や
養ってくれた父親のおかげでもある。
 
しかし、誰よりも彼よりも、
自分のことを
一番認めてくれて欲しい
一番理解して欲しい
その相手は・・・
自分自身なのだ。

中途半端でも良いじゃないか。
そこまで本気じゃなかったんだな
そこまで好きじゃなかったんだなって
ことでもあるのだから。

やってみたけど苦手だった。
それでもでも良いじゃないか。
方向性の違いが分かったのだから。

途中で考えが変わっても
いいじゃないか。
日々自分は色々と考え
常に一定に固定された考えでは
ないのだから。

それよりも
いつまでも自分を認めず
相も変わらず自分責めたり
自分をさげすんだりしていることの方が
よっぽど大問題なのだ。

ゴール地点である東京有明ガーデン(江東区)
へと向かうブリッジの連続。
最後の最後に橋の登り・下りが何度もあることは地味にきつかった。

■16(さいごに)

自分でも意外であったが
今回の100km完歩では
予想外の感想を得た。

完歩証明書もうれしい。
フィニッシャーと書かれたTシャツも嬉しい。

しかし、何よりも
自分が本当はどうありたいのか
何を大切にしたいのか
それらに今更ながら気づけたことが
一番自分としては収穫かもしれない。

これからも、色々と挑戦を続けていくだろう。
そして、諦めて投げ出すことも多々あるだろう。
でも、自分がそれで納得しているなら、
それはそれでいいのだと思う。
その時は出来なくても、諦めても、
数年後にまた取り組むかもしれないのだから。

それよりも、小さな小さな
自分が繰り出す1歩を
うんと認めようと思う。

富士山も
気の遠くなるような100kmウォークも
本当に小さな1歩がいかに大きな力を
持っているかを
教えてくれた。

そして
そこには友がいて
仲間がいた。

自分自身の大切さに気付いた時
改めて周りの大切さが
腑に落ちて
それに気付くのだと思う。

これからも楽しい仲間の輪を
増やしていければ
自分の今後の人生
相当ワクワクするに違いない。

これまで頑張ってきた自分に
最大のエールを送ってあげたい。

2022年11月16日
竹岡英二

追伸
ここまでの長文、お読みくださって
有難うございました。

来年の大会、共にチャレンジしたい方がおられれば、
ぜひご一緒しましょう!







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