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【しもつけ回想録】国本編⑧※国本編最終回
戸籍係の日々
(17)青年学校に勤務していたが、その後村長に、戸籍係が足りないと言われ、戸籍係になり7~8年勤務した。
(18)その後宇都宮市の戸籍係を務めた。ある日、母の置き手紙を読んで退職し、看病に専念した。
(19)その後母は50歳(当時私は20歳)で死んだ。腎不全から肝硬変になった。
私の所感
まず(17)について。働く年になったK子は戸籍係をやっていたようです。働く年といっても10代後半です。現代では大卒で社会人というパターンが多いかと思いますが、当時は中卒で社会人が普通だったのでしょう。そして、これは想像ですが、村長も親戚の親戚とかだったりしそうですね。土地柄や時代背景をふまえると、当時は親戚や知人経由で仕事を斡旋されるというのが多そうです。
次に(18)について。仕事から帰ってきたK子は、テーブルか机の上に(ハツエが書いた)置き手紙を見つけます。そして、それを読んだK子は愕然とし、「あぁどうしよう」と絶望の淵に立たされます。手紙の内容は、(19)からお察しの通りで、病気であり、そう長くない的なことが書かれていたようです。ハツエは既に死を覚悟していたのでしょう。K子は市の戸籍係を辞して、ハツエの看病に専念することにしたのです。当時K子は10代後半ですから、現代の言い方をすれば『ヤングケアラー』ということになるでしょう。苦労したというのも納得です。
最後に(19)について。看病に専念したものの、ハツエは肝硬変で亡くなってしまいます。享年50歳。現代の死因といえばガンや脳卒中、心疾患あたりですから、肝硬変が死因と聞くとやはり時代の隔たりを感じます。K子が20歳のときに亡くなったと言っていましたが、墓誌から調べた結果、21歳が正確です。とはいえ誤差1年なのでほぼ合っていますね。若くして母親を亡くし、代わりにK子が家事を担い、正夫を支え、さらに子ども2人を産み育てていくことになります。
ちなみに正夫の方は長生きでした。享年81歳。私ヒシキューの曾祖父であり、私の母の祖父なわけですが、私の父はなんと正夫と面識があります(父の視点から言うと、妻のおじいちゃんと会ったことがある、ということです)。一方私は、正夫が亡くなった5年後に生まれたので、正夫と面識がありません。しかし、K子の家の和室に仏壇があって、遺影が飾ってあった時期があったのです。なので、正夫の顔もハツエの顔も写真で見たことがあります。子どもの頃に見ただけなので、今はもうはっきり覚えていないのですが、本マガジン執筆の影響か、よみがえりつつあります。
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