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【しもつけ回想録】那須編①

K子の母に関して

(1)母ハツエは東京の専門学校(家政学科)に通っていた。
(2)その後群馬で教員の資格を取得した。栃木ではなく群馬なのは、当時群馬のほうが教員資格を取得しやすかったからとのこと。

K子の述懐

私の所感

まず(1)について。専門学校。しかも栃木から東京。大正時代の教育事情から察するに、間違いなく恵まれた家庭だったのではないでしょうか?家政学科。今もそのような学部や学科をもつ大学等あるのでしょうが、令和(話を聞いた当時は平成)の現代からするとどうしても古く感じてしまいます。しかし、当時は一般的あるいは最先端だったことでしょう。ハツエは遠い昔の人物だと痛感しました。

次に(2)について。栃木ではなくわざわざ隣の群馬で資格を取得したという話は、実にリアリティのある話に聞こえました。私が学生だった頃も「理系ならセンター試験(共通テストの旧称)は政治経済がおすすめ」とか「大学の第二外国語は中国語が単位とりやすい」といったある種のライフハック?が流行ってましたから、似たようなものだなと思いました。(1)とは打って変わって急に親近感が湧きました。そして何よりも、こういう面白味・人間味あふれる話を聞きたいと思ってましたので、とても良かったです。なお、どういう教員資格を取得したのか?詳細は分かりません。当時質問すべきでした。悔やまれます。

また、メモには書いてありませんが、「母は文章が得意だった。代わりに手紙を書いてくれと頼まれることがよくあった」という話を聞いたことがあります。つまりハツエは『勉強の得意なタイプ』の人物だったのでしょう。当時の教育事情を垣間見ることのできる貴重な話でした。以上。

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