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【しもつけ回想録】篠井編③
当時の風呂事情
(7)大家さんちの風呂は、住んでいる和室から遠いうえ、私がトラホームを患っていたため、風呂を別々にすることとなった。
(8)住んでいる和室の近くに手作りの小屋が作られ、そこに風呂が作られた。
(9)当時はバケツなどなく、手桶で井戸の水を14~15杯分汲んで運ぶ必要があった。その後薪で焚いた。
私の所感
まず(7)について。『トラホーム』という言葉が初耳でした。話を聞いた当時は、そういう病気があるんだ止まりで、詳細を聞くことはしませんでした。しかし、今回メモを整理し記事にするにあたって、気になったので調べました。『トラコーマ』とも呼ばれており、感染症で結膜炎のようなものっぽいです。
感染症で他の人にうつってしまうので、風呂を分けたということですね。
次に(8)について。当時は五右衛門風呂でしょうか?特に言及はありませんでしたが、五右衛門風呂を設置するための小屋を建てて、風呂も作ってくださったようです。昔の人たちは自分たちで何でも作ってしまうイメージがありますので、イメージ通りだったのかなと。
最後に(9)について。これ、大変ですね、、、風呂のある小屋と井戸は近かったのか遠かったのか。14~15杯ということは14~15往復したということですよね。往復回数を減らすため、手桶に水を目一杯入れたとして、8リットルくらいでしょうか?重いですね、、、120リットルとして、現在の一般的な浴槽が250リットルだとして、約半分。薪で焚いてたとのことで、やはり五右衛門風呂っぽい気がします。現在のようにボタン押して「オユハリヲシマス」で済んでしまうのは何ともありがたいことです。文明の利器に感謝して、今晩も湯につかることとします。
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