喪失感
この時期(8月の終わり)になると、毎年、喪失感を感じずにいられない。
自分自身の記念日があるのと、甲子園が終わるからだ。
特に今年は、決勝が推しの仙台育英だっただけに、喪失感が半端ない。
いや、それは推しのせいだけではなく、対戦相手の慶應のせいでもある。
言わずと知れた、福沢諭吉創設の伝統かつ有名かつ難関かつキラキラ🤩の学園。
それにも増して三田会をはじめとした結束力の強さ。その強さは、卒業生は、社会に放り出されても野垂れ死ぬ気がしないというほど。
それをまざまざと見せつけられた今回の決勝戦。甲子園のある関西は、慶應系列の学校は無いのにも関わらず、定員を超過しているのではない、と思わせる程の、人、人、人。
見た目だけでなく、あの、スマートな雰囲気の慶應生、OBOG達の地鳴りのような応援📣
一回、慶應が先頭打者ホームランを放つと、すぐにそれを耳にすることになる。
テレビでもビックリするくらいなので、仙台の田舎暮らしの球児にはさぞ堪えたのではないか。
自分は、これがきっかけとなって、その後も自分たちの野球が出来なかった仙台育英が涙を飲んだ、と思っている。
それだけではない。慶應の底力が全国の甲子園ファン、野球ファンだけでなく、全国民に知れわたったのだ。
もう次の春、早稲田を目指そうとは思うまい!?
その昔、いや、今もなお、野球を始めとしたスポーツで名を上げ、ただの学校を人気校にしようとする、教育ぶった輩が次々と学校を作るが、全く意味が無いことを、今回の甲子園は教えてくれたのではなかろうか。
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