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不器用な愛し方
早く返事が来ないかな。
声が聞きたいな。
会いたいな。
きみのことを考えている時間は、愛に包まれている。
電話の時だけは、ながら作業を一切やめて、きみの声だけに耳を傾ける。
きみが作ったプレイリストを、毎日聴いている。
つらい時、きみとお揃いのマスコットを無意識のうちに握りしめている。
そんな小さな小さな積み重ねが、私の愛だ。
きみに会う前に、突然髪型やメイクを模索するようになった。
電話したいのは、単に寂しさを埋めたいだけじゃないことに気づいた。
だって他の人じゃだめだから。
ここにきみと一緒に来たいなって思うことが増えた。
なんだ、自分で自分のことが不安になるまでもなく、ちゃんと愛してるじゃん。
私が10話したら、10受け止めずに4ぐらいで止めて、あとはなんか難しいこと言ってるな~って適度に聞き流してくれるところ。
でも否定はしてこないところ。
私の求めていた答えじゃないってことをわかってて、自分の言いたいことをちゃんと言ってくれるところ。
好きなところはあとからいくらでもできた。
嫌いにならないでね、って言われた時、人には(自分にとって都合の)いいところも悪いところもいろんな側面があって当たり前なんだから、他人のことをそう簡単に嫌いになったりしないよ、って話した。
多分きみが思ってる10倍は寛容だよ、って。
喧嘩別れとか、好きじゃなくなったから別れるとか、そういう未来が想像できなくて、なんでだろうって思ってたけど。
前にどこかで、「好き」は点、「愛」は面だって見た。
顔が「好き」、声が「好き」、性格が「好き」とか、好きっていう言葉は人のある特定の部分に対して使う。
それに対して「愛」はもっと抽象的で、その人そのものを「愛してる」って言うんだって。
それを見た時、なんだかものすごく腑に落ちた気がした。
私のきみに対する思いは「愛」なんだって。
嫌なところ1個見えたからもうおしまい、じゃなくて、よほど耐えきれなくなるまでは、私はこの人を「愛してる」んだと思う。
今日、帰りに夜道を歩きながら、私を象徴する言葉は「一喜一憂しない」なんだろうなと思った。
私はなかなか直接好きって言わないし、スキンシップとかいうのにもそこまで関心がない。でもそんな直接的な、形式化された愛情の確かめ合いなんかしなくたって、私の愛はきっともっと深いからいいかな、って思っている。
他人から大切にされるという感覚がわからなかった。
だからきみがどうしてここまで私を好きでいてくれるのかわからない。
私も、自分のことさえ大事にできないような人間だから、他人を大切にするということなんて尚更わからなかった。
だから自分だ他人だ、好きだ嫌いだ、とかそういう枠から一歩離れたところでものを見てきた目で、私なりに、じっくりとこの人を大事にしてみようって思ったんだ。
一体私のどこを見て好きになったのか謎だし、まだ全然素を出し切れていない。きみだってきっとそうなんだと思う。
本当に自分に自信がないから、私のこと好きでいるなんてもったいないよって思ってしまうこともある。
いくら私の全てを好きだって言ったって、きみが好きなのは虚像の私だって思うこともある。
最初はこんな穢れた私を好きだなんて気持ち悪いとまで思っていたぐらいだ。
でも、直接的な愛情表現がそんなに上手にできなくても私がきみをちゃんと愛してることは信じてほしいと思う。
って言うのは、世間一般から見たらただのわがままなんだろうね。
これが、人間関係で心が歪んでしまった私なりの恋愛への考え方だし、相手が誰であってもきっと変わらないと思う。
こういうのんびりした、熱くはないけれど、暖かい愛を受け入れてくれる人だといいな。