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悲しみのODレポ

4ヶ月半ぶりにODをした。メジコンで。
今までは1~3ヶ月に1回だったけれど、大事な時期だしそんな暇ないという気持ちが先行して(人生棒に振らないくらいの理性は持っていたようだ)このごろは薬なしでも生きていけてた。

でも、とうとう限界が来た。このまま受験が終わるまで耐えれば半年間断薬を達成できたのに。
毎日とか数日に1回ODをして、シラフでは学校にも行けないというほどの依存状態ではないが、この数ヶ月に1回定期的にくる、ODしたい気持ちで頭がいっぱいになって集中力が低下したり動悸がしたりする半依存状態。
数日後に試験を控えているからこそ、集中力のなく勉強時間も短いままずるずる試験の日を迎えても困るので、どんなに次の日副作用で苦しくても勉強すると誓って薬に手を伸ばしてしまった。

空腹状態で入れたからか、コーヒーで入れたからか、何が原因かはわからないけどとにかくいつもより身体はつらかった。
というかメジコンに関しては回数を重ねるごとにメジコンらしい楽しさが消えてバッドに入ってる時間の方が長くなっている気がする。

飲んでから自室でじっと効いてくるのを待つのではなく、外出先で買ってそのまま飲み、それから家に帰ったり食事を取ったりして、飲んだ1時間後くらいにやっと1人になれたのでそれからすぐに効き始めてしまった。
そのためとても寝られる状態じゃなかった。メイクすら落としていないし。

ふわふわして楽しい気持ちが本当に一瞬で終わり、ぐらぐらしてきて、全身が突き刺されたように痒くなって、身体が熱くなって、目の焦点が合わなくなる。
YouTubeを利用して勉強していたのだが、画面すらまともに見ていられなくなる。

なんとか立ち上がってメイクを落としたが、普段より吐き気が酷かった。いつもならここで強制的に布団に入って、横になっているうちに吐き気も治まっていくのだがそうはいかなかった。
しばらくトイレに籠ったが、最初は何も出なかったので立ち上がって部屋に戻ろうとしたら、急に上がってくるのを感じてトイレに戻った。

メジコンを入れると記憶が映像ではなく写真みたいな、パラパラ漫画みたいな感じになるのでこの辺は断片的な記憶しかないのだが、はっきりと我に返ったのは吐瀉物を目にした時だった。

記憶が断片的になる、つまり画像1枚1枚ごとの記憶であり映像として上手く繋がらないからか、メジコンを入れた時は数秒前の自分の行動も他人事のように感じることが多い。
だからこれは本当に自分のものなのかも分からなかったし、夢かもしれないとも思った。
けれど普段なら飲んで2時間後なんて絶賛幻覚を見ているか音楽の世界に入り込んでおり、その後も全く眠れずオールしているところを、この時はそれでもぐらぐらしてはいたけれどシラフに限りなく近い状態に戻り、眠れたのでおそらく本当だろう。

何やってるんだろうと思ったのは翌日だった。
共通テストの受験票やら何やらを配られ、本番前後のことを学年集会で説明され、嫌でも受験生という自分の身を再認識させられる瞬間。
そうだよ、本番まであと1ヶ月しかないのに、最初の入試は4日後まで迫っているのに、ほんの10時間くらい前の私は自ら脳みそをぐちゃぐちゃにしてまともに動けなくなって吐いて。
眠れたから翌朝はもう大丈夫だと思ったが、それでも薬の威力は1、2日は残り続ける。食欲はないし、朝の満員電車の時点ではまだ若干気持ち悪くて、集中力もそこまで戻っていなかった。
少なくとも半依存状態なのは嫌でも再認識した。こんな大事な時期に敢えて自分の身体をぼろぼろにして、こうしないと何もできない。

興味本位で何にでも手を出す自分の癖はなんとかならないのかな、と最近思う。
自分の親の頭の硬さゆえの視野の狭さで、幼い頃から否定されまくって、そんな人間にだけはなりたくないという一種の強迫観念で、あちこちいろんなものに興味を持って多分場違いだろうなっていうコミュニティにも片足突っ込んできた。
自分とは全く相反する考え方も、普段生活していたら絶対に出会うことのないような荒んだコミュニティも見てきた。

自分の心をすり減らしていることには気づいていた。人間全ての視野を持つことはできないし、受け入れられるものにも限界がある。それでも、どんなに最初は理解に苦しむような考え方も、そういうこともあるんだな~と全て受け入れてきた。
心をすり減らしていることに気づいてもやめられなかった。やめて安全地帯だけ見ていたら、私も親の二の舞になってしまうから。もう頭の硬い遺伝子を引き継いでることくらいわかっている以上、努力でなんとかするしかないのだから。

ODも、最初はやってる人の感覚を理解してみたい、という柔軟になるための興味本位の行動だった。
でも興味本位でもやらない方がいいこと、知らない方がいいこともあるということを痛感させられた。

相手を理解するにはもちろんできる限り相手と同じ立場に立ってみることがいちばんだろう。
けれど、相手の話を一切否定せずに色々と質問を重ねてできる限り自分の中に落とし込んでいく、それだけでも全く耳を傾けようともしない人よりは柔軟になれるのかもしれない。
とにかく不健全な形で手に入れる幸福感にはできる限り縋らない方がいい。気をそらすだけじゃ根本的解決には至らなくて、もっと強烈な代替物を見つけることくらいしか抜け出す方法はないからだ。そうしたら不健全のスパイラルに陥ってしまう。

ODレポはむしろおまけで後半の心の叫びがメインになってしまったが、もし私と同じような状況に苦しめられている人がいれば、私たちは少なくとも「話せばわかる」人間になれればいい。あなたが自分の心と身体を守れる範囲で柔らかく生きていけることを私は願っている。

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