褒めて伸ばすは本当かを、心理学的に分析してみた
さあ、どうですかね。「褒めて伸ばす」か「叱って伸ばす」ということですが、皆さまはどちらが良いと思いますか。
『褒めて伸ばす』のもとになった実験
「それはもう『ピグマリオン効果』というのがあるぐらいだから、『褒めて伸ばす』が正解だろう」と思われる方もいるかもしれません。有名ですよね、ピグマリオン効果。心理学者のローゼンタールさんという方が提唱されたものです。
今は倫理的に絶対やれないような実験です。その実験はこういったものでした。
1964年、サンフランシスコの小学校です。あるクラスを対象に、「ハーバード式突発性学習能力予測テスト」という名前をつけた『一般的な知能テスト』をやりました。そのとき、学級の先生には「これは、これから数ヶ月間のあいだで成績が向上する生徒さんたちを割り出すためのテストなんですよ」と説明しました。
テストのあとに、この知能テストの結果とはまったく関係なく2つのグループにわけました。1つのグループには「テストの結果、成績が向上する人たちです」と伝え、もうつ1つには「そうじゃない人たちです」と伝えました。
そうしたら、まったく関係ないのに「成績が向上する組ですよ」と言われた生徒たちの成績が向上しました。これが「ピグマリオン効果」と言われている、期待をかけるとその期待に応えようとするというもの。「教師期待効果」とも言われています。
もともと、この「ピグマリオン効果」の「ピグマリオン」は、ギリシャ神話からきています。あるギリシャの王様がとても彫刻が上手で、自分で女の人の彫刻を彫りました。そうしたら、自分で掘った女性の彫刻に惚れちゃった、と。
「あぁ、この人と一緒にいたい」とずっと祈り続けたら、女神様がそれを見届けて女性像に命を吹き込んでくれた。そして2人は愛を育みながら、仲良く暮らしたという神話がありまして、期待をかけるとそれが実現しますよというところからきています。だから、「ピグマリオン効果」と名付けられました。ここから、「よく褒めて育てる」ところにつながってきます。
伸びるのは褒めてるからじゃない?
さあ、どうですかね。褒めたら伸びると思いますか?よく間違っていて、僕は違うなと思っています。
褒めて伸ばしているんじゃないと思うんですよ。教師期待効果ですからね。期待をこめて丁寧に教えているから伸びている。これが実際のところだと僕は思っているんですね。なぜかというと、ローゼンタールさんはフォードという方と一緒に1963年にもう1つ実験を行っているんですよ。先ほどの実験の1年前です。
これは、ネズミを使い、AのグループとBのグループのネズミを学生たちに渡しました。もちろんそのネズミはまったく同じネズミなんですが、Aのグループにネズミを渡すときには「これはよく訓練されている賢い系統のネズミですよ」と言って渡したんですね。Bのグループは「これはあまり訓練されていないノロマなネズミです」と言って渡しました。
そして迷路をつくり、どちらのネズミが早く迷路をクリアするか走らせました。そうしたら、賢いと言われた方のネズミが迷路を早くクリアしたんですよ。
さて、どうでしょうか。ネズミは期待を受けとれると思いますか。違いますよね。ネズミは期待を受けとっていない。では、どうして「こっちのネズミは賢い」と言われた方のネズミが早く迷路をクリアしたと思いますか。
期待することの真実
それは扱い方の違いです。「こっちは賢いですよ」と言われたネズミを渡された学生のグループは、ネズミを丁寧に扱いました。「こっちはノロマですよ」と言われたネズミを渡されたグループは、ネズミをぞんざいに扱ったんですね。そうしたら、丁寧に扱われたネズミはやる気がでたんでしょうね。迷路を早くクリアしたということなんです。
つまり、この「ピグマリオン効果」は、期待をかけられた側の話ではない、と。期待をかける側のことに作用しているということなんです。
教師期待効果、サンフランシスコの小学校で行われた実験をとってみても、学級担任の先生は同じように扱っているつもりだったと思います。けれど、「賢い」と言われた人たちにより丁寧に接しました。そうではなかった人たち、「成績があまり伸びませんよ」と言われた人たちにはそうでもなかったという。この違いが成績の違いを生んだというのが、「ピグマリオン効果」の実際のところです。どうしてそれが起こったか、という実際のところだと言われています。
だから、褒めて伸ばすというのは、褒めることで相手が気持ちよくなるというのはあるけれども、伸びるかどうかはまた違う問題だということなんですよね。
褒めることにより、期待をかけることにより、丁寧にスタッフ、あるいは生徒や子供みたいな人たちに接することによって、結果としてその人たちの能力が伸びるというのが実際のところなんです。
褒めることに意味はないのか?
では、褒めることに意味がないかというと、全然そんなことはありません。これまで心理学でも多くの実験が行われており、その研究を集めてメタ分析した結果があります。
この結果によると、ネガティブなフィードバックの「叱る」よりも、ポジティブなフィードバック「褒める」の方がモチベーション的にもほかの心理学的にもいい効果をもたらしますよという報告があります。だから「褒める」のは「叱る」よりはいいことですが、1つ注意があります。
ここで注意したいのは褒め方です。褒め方によって効果が異なるという実験も行われています。この実験の対象者は10歳前後の子供たちです。どんな実験だったかというと、子供たちにまず幾何学の図形を使った知能検査に取り組んでもらいます。
最初、中程度のむずかしさの問題が与えられました。子供たち全員がやります。やりますが、まったく自分がやった実験結果、テストの成績とは関係なく全員に「8割程度は解けていましたよ」と伝えられました。
このときに、3つ条件が設定されたんですね。心理学で「統制条件」と言われているやつです。Aグループは何も褒めない。Bのグループには「こんな問題が解けただなんて、すごい頭いいね!」と褒めます。これ能力ですよね。「頭がいい」という能力を褒めたということです。もう1個のグループ、Cのグループは「こんな問題が解けただなんて、本当一生懸命頑張ったんだね!」と言って褒めました。これ努力ですよね。
このような、「能力を褒めたグループ」、「努力を褒めたグループ」、「何も褒めなかったグループ」という3つのグループをつくりました。
そして、さきほどの問題よりむずかしい問題に取り組んでもらいました。またそのテストが終わってから、実際のテストの結果とはまったく関係なく全員に「今度は半分も解けていなかった」とネガティブな結果が子供たちに伝えられます。そのあと、子供たちはどんな反応をしたのかということを調べた実験なんですね。
さて、どうなったと思いますか?
褒められた方がよかったんです。褒められないよりは褒められた方がいいというのはこれまでと同じですが、「能力を褒められたグループ」と「努力を褒められたグループ」、どっちの方がよりモチベーション的によかったと思いますか。ここは僕も本当にどっちだろうと思いましたが、結果からいうと、努力を褒められた子供たちでした。
伸びない褒め方
まず、取り組みが変わりました。努力が褒められた子供たちは能力を褒められた子供たちに比べて、問題を解くことを楽しんでいて、このあとも問題を続けたいと思っていたんですね。
能力を褒められた子供たちは、自分の得点を誤魔化そうとしていくようになったそうなんです。つまり、努力を褒めた方がいいということです。人は自分の努力を褒めてもらって認めてもらうと育っていくんだということですね。
だから、つい「おまえはできるやつだ」、「頭がいいね」と能力を褒める方に僕もいきがちですが、そうではなく「頑張ったんだね!」、「努力したんだね!」、「それはすごいよ!」と、努力や行動を褒めていけるようにしていこうと思います。