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今だからこそ気をつけたい、コロナ話題のモテる話し方

コロナでこういった社会事情になってから、個人での体感や状況も変わるため、コロナ自体の話題がしにくい、気を使うようになったと感じます。今回は相手と自分が反対意見でも、嫌な思いをさせない話し方についてお伝えしていきます。

気をつけるポイントは2つ

僕もこれは気をつけてきましたが、コロナの話しで相手の方に嫌な感じを与えないために、2つのことを意識しています。『軸』『自分の責任範囲を明確にすること』ですね。

まず軸ですが、なんでもかんでも相手の話についていくと危険だと思うんですよね。これは例ですからね。「絶対そうだ!」というわけではない一例ですが、相手が「いやぁ、コロナは風邪だからさ。騒ぐ必要ないんじゃないの?」と言ったとしましょう。僕が「そうだよね」と言ったとします。

そうしたら、もう1人来て「でもさ、オミクロンだったらいいよ?でもデルタだったらどするの?重症化するリスクが大きいわけでしょ?調べてみなきゃわかんないわけじゃん。新型コロナウイルスとして正しく恐れるべきだと思うんだよね」ということで、今度は僕が「本当そうだよね。言ってることそのとおりだと思うよ」とその人に言ったら、どうですか?

この2人にとって、僕という存在は言われるがままフラフラしていて考えがない人になってしまいますよね。

コロナの関係の話はどっちに振れてもいいと思うんですが、主義主張がはっきりしている話だと思うんですよね。たとえばワクチンであれば、打つのに賛成派の人と反対派の人にわかれるし、まん防であれば発令をOKとする人と「出す必要なんかまったくなかったよ」という人の黒か白にわかれるものだと僕は思うんですよ。

なので、双方の話を聞いたときにそちらにばかり合わせていると、自分がない。何も考えていない。ひいては「信用できないやつだ」ということでモテない方向にいってしまうと思うんですね。ですから、自分の意見はちゃんと持つべきだと僕は思っています。

たとえば、僕の意見としては、オミクロンだったら風邪だと思っている派なんです。それが正しいかどうかはわかりませんが、風邪派の人には、「僕もそう思います」と言いますし、「正しく恐れるべきだ」という人には「たしかにその考えというのはあると思うけれど、僕はオミクロンは風邪だと思っている派なんだよね」と答えられるように、ブレがないようにまず軸をつくることが僕の大切にしていることです。自分の土俵から出ない

戦わない主張のしかた

自分の土俵から出ない、たとえば「正しく恐れるべきだ」と言っている人と話をするときに、僕はまず自分の軸として話をします。自分の土俵をでないことは、相手の土俵を尊重するということでもあるので、自分と違ったとしても「なるほどね」と言って、まず認めます。「あなたの主張は認めます」と。「よろしいのではないでしょうか」ということですよね。「僕はオミクロンを風邪だと思っているけれど、これをあなたに押しつけるつもりはないですし、あなたの考えもたしかにあると思いますよ」という感じです。

つまり、僕は僕の土俵から出ないそしてそれを押しつけない、押しこまないということですよね相手が押しこんできても、それに対してはサラサラ受け流すというスタンス。これが1番いいんじゃないかなと僕は思います。そこに対して軋轢を生まないけれども、自分を曲げないという今のやり方で、僕は戦ったことがないですし、「なるほど。オミクロン、コロナに関してはそういう話し方をすればいいんですね」と何度も言われてきました。

もし仮に相手がさらに自分の主張をしたとして、僕に意見を求められてなければ、「なるほど、そうなんですね」と言っておけばいいわけです。相手の土俵はそういう考え方で、僕の土俵に相手は入ってきていないわけなので、そこに付き合う必要ないのですよ。

そこから相手が僕の土俵に入ってきたとき、「恐れるべきなんだよ。そう思うだろう?間違ってないだろう?」と言われたら、僕の土俵に入ってきたので「そうですね。そういう考え方があるというのはものすごくわかります。けれど、僕はどっちかというとオミクロンは風邪だと思っている派なんですよ。それが正しいとか間違っているとかではないので、気にしないでください。ただ僕はそういう派でして、お許しください」と、さらっと受け流します。

それでも突っこんでこられた場合は、「あなたの意見が正しいかどうかは判断できません。この話は平行線になるので、次の話いきませんか?」と話題を変えます。正解がない話だということは一般的にはわかっているので、僕はこう対処しています。ぜひ参考にしていただけたら幸いです。


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