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私のこだわりは、本当に「私の」なのか考えてみよう

ビジネスでも恋愛でも『モテる』をテーマに。ちょっとブラックな心理学などお届けしています。いつもスキやフォローをありがとうございます。励みになっております。

今日は「私のこだわり」についてお話をしていきたいと思います。こだわるというと、モノや行為(行動)になってくるんでしょうかね。この「こだわり」から、どこまでが自分なのか?と言う点を紐解いていきます。もしかしたらなぜか生きにくいという「こだわり」を抱えているかもしれません。


モノのこだわり

モノであれば、具体的なところで言うと「私は紅茶にすごくこだわっています」、「部屋のにおい(アロマ)にこだわっています」、「デニムにこだわっています」、「シューズにこだわっています」などがあるかと思います。

僕はそういった意味でいうと、収集癖はあるんですが、こだわりはないかもしれません。人から見て一見こだわりがあると思われているのは『くつ』ですね。「ドクターマーチン」をよく履いています。「ドクターマーチンが好きなんですね」、「こだわっているんですね」と言われますが、好きですけど足の形的に「ドクターマーチン」がものすごく楽。という理由で履いております。

着る服にもこだわったりはしていますが、それも仕事上のビジネスな意味でのことですし、髪は金髪ですが色が茶色にくすんでも「まぁいっか!」と放置なので、これもこだわりかと言われると違うのかもしれません。

行為のこだわり

次は行動行為のこだわりですね。「寝る前には必ずストレッチをしています」、「朝起きたら何分間は瞑想することにしています」、「月に1回はどこどこに行くようにしています」、「どこどこの前を通ったら、必ずお参りをするようにしています」などなど。

こういった行為に対するこだわりもあると思いますが。これも僕はないんですよね。あったとしても移ろっていくんですよ。

みなさまはいかがでしょうか。ちょっと大袈裟かもですが、生まれてから今までずっとこだわり続けているモノや行為はあったりしますかね。中には「あります!」という方もいらっしゃると思います。それはコメントなどで教えてください。僕はただひたすらリスペクトをするばかりです。

価値観のこだわり

なんか移ろっていくんですよ、僕の場合。けれど、移ろわないこだわりも実はあるんですね。それは「価値観」と言えるようなものですね。考え方です。「これは僕のこだわっている考え方なんだ」というのは小学校時代からずっと変わらない部分です。

いくつかありますが、その代表的なものとしては、「結果に出ない努力はしても無駄」というものです。これが世の中で本当に正しいかどうかは置いておいてください。僕はそう信じていて、それにこだわっているということなんですよね。

何かをやっていくのであれば、それは結果に出したいと思ってちゃんと頑張っていきますし、自分が望んだ結果に至らなかったのであれば、僕がそこまで使ってきた時間・お金・努力、それはまったく意味をなしませんでしたと考えてしまうんですよ。

具体的にいうと、洗脳系メンタリストKのYouTube。YouTubeをやっていくと決めて、僕の中にゴール、目標があるんですね。1月から始めて、半年間でこうなっていこうというもの。それがギリギリ達成しているとか、少ししていないだったら許せるんですけど、箸にも棒にもまったくかかっていない状態であれば、僕が半年間つぎこんできた努力・時間・お金、そういうものはまったく無駄でしたと考えてしまう。これは僕がつい自動反応的に意識せずとも考えてしまうところです。

これすべて同じで、何かをやるのであれば、それは結果を出すことに直線的に結びついていないとダメですよ、というのがこだわりというか、自分の中にものすごくあるんですよね。

もちろん動物が生きていくためにすることは別ですよ。食べる、寝る、排泄する。自分の意思を持って「これをやろう!」と決めたことにおいて、「結果に出なければ、やっても無駄です」と思っているんです。

無に返してしまう強い価値観

「Monkey Flip」というメガネのブランドをやっていまして、オリジナルのメガネを結構出しているんですね。このオリジナルメガネに関しても「つくりました」、「売れませんでした」となると、もうそれは売れなかったからダメっていうより、ゴミをつくっただけ。

資源を破壊してゴミをつくっただけ、と。自然環境的にも経営資源的にも、スタッフの労力的にもマイナスだけを積み上げたと僕は判断してしまいます。そういうような思考のクセですね。ですので、こだわりとしては、そのひとがかけたら一番かっこいい、その人を輝かせるメガネをつくるんだということ。使ってもらわなければ意味がないというのがベースにあります。

みなさんも自分の意思や価値観のこだわりが思うんですね。もしお仕事上などでそれが出てきたときに、『本当に自分のこだわりなのか』をぜひ考えてみてください。

出典 pixabay

 

苦しい価値観は『プログラム』

何が言いたいかというと、「それは親によるプログラミングではありませんか?」ということなんですよね。もちろん親は子供のことが可愛いですから、大半の親は。ですから、子供に対して「ダメだ!」ということは、不幸になることを指導して刷りこんだりしていることではないです。

「その子のために」、「その子にとってよかれと思って」というところがあります。よかれと思って親の「自分の価値観」を押しこまれていくわけですよ。親自身の「自分の価値観」も、そのまた親からきているところもあり、代々数珠つなぎみたいになっていたりします。

僕自身の本当の気質は、そんなに結果重視型ではないんです。自分のプロファイルを見て思います。けれど、僕の中には「結果がすべてだ」というものが埋まっている。これはどう考えても、紐解いてみても親からのプログラミングだなという考えに至るわけです。

ただ、だからといってこれを拭い去れるか、0にできるかというと無理です。無理ですが、それをわかっているだけで少し生きやすくなったりするんですよね。

自分の本当の気質と親からのプログラミングがズレていた場合、かなり苦しんですよ。こういう僕も苦しんだ時期はありました。もっと自由に僕がやりたいことがやりたいのに、親からは「結果に出ない努力はしてもいけない」、「あなたが絶対結果を残さなければいけない」と育てられました。

小さいころでいうと受験ですよね。親の期待に応えなければいけない。ずっと苦しいなと思っていたんです。自分の本来持っている気質と違うから。でも「これはプログラミングだな。それも親が僕のことをよかれと思って入れたプログラミングだ」とわかれば、プログラミングだと思って対応することができます。それによって人生、僕はかなり楽になりました。

『楽しいこだわり』と『苦しいこだわり』まとめ

ちょっと話しがバラっとしましたので、まとめますと、モノや行動のこだわりは、大いに楽しんでいただければと思います。

そうではなくて、自分の価値観においてのこだわりは、今一度それは本当に自分のこだわりなのか?ひょっとすると親からのプログラミングではないのか、というのを1度考えていただくとよいというのが結論です。

その自分の価値観のこだわりが自分を苦しめている。「なんかこれきびしいな、苦しいな」と思っているのであれば、プログラミングの可能性が大きいんですよ。そして、プログラミングだと気づくことが自分の人生にとって自分を包んでくれる。ちょっと生きやすくしてくれる機会になると、僕自身が感じていることでもあります。あなたの生活が豊かになる何かのきっかけになれば嬉しいです。



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