散歩。神経伝達物質。運命。
朝の7時半すぎから散歩へ出かけた。
ひとりじゃ店に入ったり公共交通機関を使えないひきこもりの私でも、散歩ぐらいできる。私が「できる」と思っているだけで、はたから見れば単なる不審者ということになっているかもしれないけどね。
これまでもひとりで散歩に出たことはあったけど、こんなに早い時間に出かけたことはなかった。この時間は通勤や通学、あるいは犬の散歩などで人出が多い。
人生の半分をひきこもりニートとして過ごしているゴミからすれば、この時間に活動している人は皆まともな人間だ。
まともな人間にまぎれてとぼとぼ歩いていると、何とも言えない惨めな気持ちになった。
それから自分のようなゴミがこうして歩いているのがとても恥ずかしいことのように思えてきて、家に帰る頃には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
陽の光を浴びたり、一定のリズムで運動すると、脳内の神経伝達物質の一種である「セロトニン」の分泌が促される。
セロトニンが分泌されると、リラックスしたり、安心したり、幸福を感じられたりするらしい。
陽の光を浴びることと、一定のリズムで運動することをいっぺんにできる散歩をしてみたものの、セロトニンの効果は感じられなかった。それどころか、惨めな気持ちになり、ついで恥ずかしく、申し訳ない気持ちになった。
よくよく考えれば、そりゃそうだよな。
例えば賃金をもらえず、炎天下のなか強制労働させられていたとして、強制労働はつらいけど日光を浴びられるうえに良い運動になるからセロトニンが分泌されて幸せな気持ちに……なんて、あるはずがない。
私はゴミだ。ゴミはやがて捨てられる。今はまだ親や彼女がいるけれど、やはりいつか捨てられる運命なんだろう。
そのことが脳裏をちらついている不安定な状態で日光を浴びたり運動したりして、セロトニンが分泌されたところで、「いつか捨てられる運命」は頭の中にべったりとこびりついているままだ。
根本的な問題が改善されない限り、良い気分にはけしてなれないんだ。
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