痛み。
右足のアキレス腱を痛めてから十三日かしら。もう二週間もの間ぼくはずっと布団の上で生活をしています。最初は右アキレス腱に激痛がありました。それは十日ほどで引き、これでまた歩けるようになるぞと回復を喜んでいたんですが、今度は同じ右足の甲が炎症を起こし、再び歩けなくなってしまいました。
前回
・ごろごろと充実。
どれもこれも、ぼくの重すぎる体重と、右足の持病である先天性内反足(生まれつき足が骨ごと内側に曲がってしまっている)が原因なんでしょうね。
十日もしてなんとか歩けるようになってきていたところに、今度は別の痛みが発生し、ぬか喜びというか、肩透かしを食らったというか、何だか虚しい気分です。それでもって一昨日、昨日とnoteを書くことが出来ませんでした。
昨日と今日はTwitterでのつぶやきさえできず、ただ痛みに耐えながら、目がひっくり返りそうなほど眠いのに眠れない、もどかしい時間を過ごしてきました。
一昨日、昨日、今日の三日間は、まるで一年のように長く感じられました。
何とか寂しさや悲しさを感じないようにと苦心していると、いつの間にか、寂しさも悲しさも、楽しさも嬉しさも感じられない、からっぽの心になっていたんです。そのことに気がつくと、堰を切ったように、寂しさや、悲しさが溢れ出してきました。
あたかも、他人が生きている時間と、自分の生きている時間に、歪が生じているかのような感じがし、自分だけが、いつまでもそこに取り残されているような、置いてけぼりにされているような、やるせない悲しみが押し寄せます。もはや涙さえ出ませんでした。
痛みだけが、今、ぼくの生きている証拠なんです。
痛い。痛い。また痛い。断続的に痛みの波が押し寄せてくる、そのときだけは、時間がきちんと前へ前へと進んでいる実感を得られます。それが今、ぼくの生きている証拠なんです。
痛い。痛い。また痛い。ということは時間が進んでいて、ぼくはその時間のなかにいます。ぼくは一秒、また一秒と、同じように進む時間のなかを生きています。
しばらくじいっとしていると、足の痛みが弱まっていき、すうっとなくなってしまうことがあります。すると、ふしぎなことに、ぼくの心はまたからっぽになるんです。
そうして、再び足に痛みがズキン――と走る。
すると、やはり堰を切ったように寂しさや悲しさがなだれ込んでくるんです。
著者。
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