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昨日、今日と二日連続でブログ記事を書いた。 昨日の記事は新しく購入した(してもらった)スマホについてのもので、出たばかりのモデルだったからか、まあまあ読んでもらえている。 先ほど書いたのはBluetooth接続のオーディオレシーバーについての記事。音が悪いイメージだったワイヤレスオーディオだが、Qualcomm社のコーデック『aptX』に対応したスマホとレシーバー(あるいはワイヤレスイヤホン/ヘッドホン)があれば、そこそこの音質で聴けることが分かった。 昨日、スマホの記
母の友人が死んだ。 彼女は母の看護学生時代からの古い友人だった。母とその友人と、もう一人の友人の三人でサイパンへ旅行にいった話なんかは、これまで何度も聞かされた。よほど楽しかったのだろう。 仲良し三人組のひとりが亡くなったのだから、悲しいに決まっている。 それぞれ大人になって、結婚して、子供を産んで――と人生を歩んでいれば、なかなか連絡できず疎遠になってしまうものだ。母とその友人たちも例外ではなく、年賀状のやり取りと、まれに送られてくるメッセージに返事をするくらいの関係
金がない。友もない。そもそも何かをしようという気持ちがない。生きるのに必要なエネルギーを、子供時代に使い果たしてしまったのだ。だからずっと家にいる。自ら進んでそうしているというわけではなく、他に選択肢がない(少なくとも私には選択肢があるように思えない)のだ。 予定がない。あまりにも予定がない。私に待ち受けている予定はたったひとつ。生きとし生けるものすべての終着駅である「死」だ。 この感覚は昔からあった。遥か遠くに「死」が見えていた。すべてがそこに収束してひとつの点になって
今日も一日をなんとかやり過ごした。小説を一文読んで飽きる。ゲームを立ち上げすぐに飽きる。動画を見始めすぐに飽きる。再び小説を読み始め一文で飽きる。ずっとその繰り返しだった。何をしても鬱屈とした気分を拭い落とすことができなかった。 母は出かけてしまった。同僚のお別れ会らしい。牛丼の具を作っていったのでそれを米に乗せて食べるも、半分も食べられなかった。よそい過ぎたのかもしれない。味を感じられなかったからかもしれない。 外で食事をすると、自分が今何を食べているのか分からなくなる
明後日、父が還暦を迎える。中学卒業と同時に家を飛び出し、自動車の整備工場で働きながら一級整備士の資格を取り、結婚して子供を作って、マイホームにマイカーを手に入れて――、と人生を歩んできた父。息子として、誇りに思う。 いっぽう私は、理由はまったく異なるが、奇しくも父と同じく最終学歴は中学校卒業。しかしそのままひきこもりニートになり、何年も何年も親の脛を齧り続けている。 現代ならテレビや新聞に載るんじゃないかといういじめを受けていて、自分の力ではどうすることもできず、何とか逃
弟夫婦に第二子が誕生した。弟の人生は本当によくできている。現代人のお手本として作られたモデルのようだ。反対に私の人生は現代人の反面教師として作られたモデルなんだろう。ここまで明確に、弟の人生が成功の連続であり、私の人生が失敗の連続であると、何らかの作為を感じざるを得ない。その作為を心の底から信じることでしか自分を宥めることができない。神様の存在は信じていないけど、私の知る由のないところで、神様のルールというか物理法則のようなものが働いていて、弟は何をしても成功し、私は何をして
インボイス制度のことを調べる、ステマ規制の対策を打つ、Youtube動画の再開。やらなくてはいけないことがたくさんある。それなのに今日もアズールレーンを回しながら面白くもない動画を延々垂れ流しながらやり過ごしている。生きているのではなく文字通り「やり過ごして」いるだけだ。頭の中がコンピュータでいうところの「ビジー状態」になっていて、何をどう処理していけば良いのか分からずあたふたしている間に一日が終わる。
Youtube収益化の条件が緩和された。これまでチャンネル登録者が1,000人必要だったところが、半分の500人でも収益化できるようになった。500人だったらあともう少しで達成できる。ついに収益化が見えた。でもやる気が出ない。お金を得られたとして何になる? 数年前なら「お金さえあれば生きていけるかもしれない」と淡い期待を抱いていたが、現在は「どんなにお金があっても生きていたくない」という思いが強い。お金があっても幸せになれるわけではないのだ。問題の根源は自分に生きていけるだけ