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海のはじまり


海のはじまりというドラマが怖い。この話が感動的だとされることも、人間の利己的な思いが混ざりあって、他人の立場を想像して行動しないさまが鋭利に描かれているところも。

作品が怖いだけで演じている方は一切関係ない。この怖さこそがメッセージ性を持っているのだろうと、どこかでは思うのだけど、それでも直視できない生々しさがある。

いちばん怖いのがみずき
元恋人の子どもを授かって、相手の人生を奪うからと話し合わず、勝手に堕ろすと決めて書類にサインを強要した。それでも感情が溢れて、結局は産むことになる。
産んだ後にあれがお父さんの家だよ、と
もう他人になった元パートナーの家に訪れたり、娘に父親の家の最寄りは〇〇駅で、この駅から何駅、と書いたメモを渡したり、
行動の一つ一つが感情的で、客観性も一貫性もない。

うっすらと感じていた恐怖が増したのは、みずきが病気で長くないと知り、娘を元恋人に会わせようと家に向かい、今の彼女と一緒に玄関から出てきたのを見て走って逃げていたとき。
お別れした時点で二つに分かれた別の人生があるだろうと想像していなかった様子に見えた。
そもそも産むと決めた時、もっと好きな人が出来たと言って、自分から別れを告げたのに。
一人の人間を傷つけ、ひとつの命を守る決断なのに、自分のエモーショナルに浸り、ヒロインであり続ける様が怖かった。

あまりにも大事な決断を全て感情に任せているところ、突発的にとんでもないことをするところ、その責任を自分で取らないところ、全てが怖い。

会えたとしたら、自分はもう長くない、 実は子供を勝手に産んだと伝えて、全てを背負わせて居なくなるつもりだったのだろうか。
人生を奪いたくないという理由で中絶に同意させたはずの相手に。
産むということはそもそも、その人の人生に介入することで、娘にとっては父親は一人しかいないのに。

死を間近にして感情的に周りを巻き込んでいったように見えて、最初からどこかおかしかった。

死は最優先的なものだろうか。
仮にそうだとして、死が早まったことで、自分だけの判断で子供を産んだことも、相手と話し合わなかったことも、その子を振り回すことも、残された人を傷つけることも許されるのだろうか。

可哀想で一括されて、何もかも、ぼやけている気がする。死はもっと普遍的で、絶対的なものだと思う。そこも違和感のひとつになっている。

そんな役がホラーじゃなくエモで成立しているなんて、そもそもの世界観が狂っている。
設定が狂っているとは思わない、世界観が狂っている。
全て自分のやりたいように感情をぶちまけてこの世から消えていったみずきがあまりにも怖かった。

同じくらい怖いのがみずきの元恋人、夏くん。
彼女から中絶を宣言されて、話し合いを提案せず、押されてサインする自分のなさ、今の交際相手に対する想像力のなさ、困り眉をして相手に決断させる自立心のなさ、
目黒蓮の造形に惑わされてしまうが、中身はこんな具合である。

夏くんの今カノの弥生さんも何だかなぁと思う。
何を言われても淡々と反応するのに、心の奥底でふつふつと滾る気の強さ、みずきの娘の海ちゃんへの受け答えからも感じられる。
全て受け入れてるように見えて、しっかりと自我があって心で拒否している。
夏くんに対しても、よく分からない小説的言い回しでハッキリさせない。
ふたりの関係性が、終始よく分からない。
色んなことを気にして意外と粘着的、清々しいくらいにしっかり女だ。

みずきの母も、生々しい。
娘が子供を堕ろすことに猛反対する理由が、自分たちになかなかこどもが出来なかったから。
娘の問題に主観でものを言ってるのが、あまりにも鮮明な描写。リアルではあるのかもしれない。
娘が出産したらしたで、元彼の夏くんに対して敵対心をむき出しにしている。
娘がこんなに苦労しているのはあの男のせいと言いたげである。

夏くんの今の恋人の弥生さんに、子供を産んだことがないでしょう。と言う。あそこにいるのがみずきだったら良かったのに。とも。

みずきは被害者だろうか。夏くんは加害者なのか。産むのはみずきで心体的負担は圧倒的に大きいだろうから、母の心情としてそうなるのはわかる。でも妊娠は2人の責任のはず。
病気になったのは偶然で、運命で、それによってみずきは神聖な存在のように描かれて、残されたものたちが懸命に償っている。

あまりにも鋭利だ
こんなに生々しい感情表現があっていいのだろうか
子供が子供のまま大人になったような、自分の感情だけで動く人間があまりにも多すぎる。
それが混沌を生み出して、複雑に絡まりあっても、なおそうであり続ける、どの役も。

いちばん怖いのは、これらの登場人物、全員に共感できて、共感できない所である。
悪い人だとは思えないのだ。どこかで思い当たる節があるのだ。ただ現実とは乖離している。

全員が自分の価値観と善悪で生きていて、一貫性がない、等しく語られるはずの倫理観がない。違う世界線を生きている人達が、血と血で混ざりあっているような、グロテスクさがあるのだ。

この話がエモだ、感動だ、なんて語られるのはあまりにも稚拙だと思う。あのふわふわとした映像で放送されるのもまるでおかしい。

頭と足が逆になった人間が歩いているような、それをだれも咎めないような、違和感と気持ち悪さは、どうにも表現出来ない。

同じことを感じている人はいるのだろうか、これは私だけなのだろうか。

とにかくこの気持ち悪さを言語化しておきたい。
クリエイティブとしての一線を不意に超えている気がするこの作品が、とにかく苦手なのだ。



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