一所懸命と一生懸命

 一生懸命という言葉があります。一所懸命とも表記される事もあり、時々どちらを表記すべきかと迷ったりもします。
 調べてみると、本来、一所懸命が語源のようです。
 鎌倉時代の頃、武士が将軍様から賜った先祖代々の所領を懸命に守った事に由来するらしく、『一所(土地)を懸命に守り抜く』『命懸けで取り組む』『切羽詰まった状態』など実に様々な形で使われるようになりますが、『命懸けで取り組む』という意味が頻用され、一所懸命の『一所』が『一生』に取り違えられ今に至っているようです。
 イメージ的にも一生懸命と言われると、ほぼエンドレスで、死ぬる、その時まで、続けなければならないと、私なんぞは、息が抜けんないような思いも過ぎります。これに対し一所懸命は御多忙・御多様に拘わらず、一心に、その事のみに氣を潅ぐ、一つの事を一心に集中し一様で熟してゆく姿が想像されます。世の中には、何かにつけ氣を散らさずに一所懸命に取り組む方が居ます。
 承句を素読する際にも、甩掌をカウントする際にも、しっかりお腹から声を出し、講義の際には、一言一句漏らすまいとメモする方もおられます。
 一時の浮世から離れその刹那刹那に集中する。
 中村天風先生も「古歌にあるだろう」「さしあたる その事のみをただ思え、過去は及ばず 未来は知られず」と口にされ、分散心を戒めたようです。禅宗の極意は如何にと問われ、ある高僧が「飯食う時には飯食いなされ」「死ぬる時節には、死ぬるがよろしい」と応えたそうです。
 昨今の風潮を眺めても、飯食いながらLINEをしたり、遊びに来ていながら勉強が気になる。多念・多心では脳神経の休息は在りません。
脳生理学的に考察いたしましても、物事に一心不乱に没頭するとそれだけで一時的に多くの脳の分野は休息され神経系統が休まります。どれだけ、神経系統やホルモン系統が調い、生命脳の分野が賦活する事でしょう。
 しかし、人々は、不安や・痛み・マイナス感情に対しては、放っておいたつもりでも過敏に反応して、それに拘り縛れます。そういったものたちも、此方に振り向いてと言わんばかりに、痛みを発信したり、心配事や不安感情を過ぎらせます。そうして、しばしばその感情に引きずられる事により、痛みに過敏に反応する脳や、不安に苛まれる脳や些細な事に激怒しやすい脳の回路を開いてしまします。夏目漱石は小説『草枕』の中で、「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」と述べておりますが、これは、もしかしたら、ご自身が作り上げてしまった癖(脳の回路)なのかも知れませんね。
 折角、氣功を楽しんでいるのです。旅行を楽しんでいるのです。ゴルフを楽しんでいるのです。一時浮世を忘れ没頭する癖をつけて行きませんか、それだけで、脳が賦活するのです、命の力が湧きでるのです。


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