己の欲せざる所、人に施すことなかれ

 



論語に、弟子の子貢が師匠の孔子に質問した下記の言葉が残されております。
子貢問曰 有一言而可以終身行之者乎
子曰 其恕乎 己所不欲 勿施於人         (衛霊公第十五)
 子貢問うて曰わく、
 一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
 子曰わく、其れ恕か。
 己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。 

 弟子の子貢が、先生に聞きました。「ただひと言で、一生実行する価値のある言葉はありますか?」。先生がおっしゃいます。「それは〝恕〟(相手を思う思いやりの気持ち)だよ。自分がされたくないことは人にしないということだ」。と
 如何でしょうか? 我々は、自分自身を見失い、他者への要求に終始し、叶えられず、疲労困憊してはいませんか? 自分の事は棚にあげ、周りにばかりに要求をしてしまう。また、自分自身の事が分からなければ、本当に自分が欲する事、欲してない事がわからないのではないのでしょうか?
 自分に正直にプラスの部分もマイナスの部分も隠蔽せずにありのままを受け入れる。プラスの部分もマイナスの部分も有って人間なのです。よく、ご自身のマイナス部分を隠蔽してプラス思考だと思い込んで見たり、自分自身に無理強いしてプラスだプラスだと過剰反応になるのは、反動形成と言いマイナスの部分が寧ろ強いからなのです。
 心理療法の一つにロールプレイング(役割・演技)があります。幅広くケース型・リアル型(問題解決型)など多種に応用されます。例えばいじめ子が、いじめられ子の役を、いじめられっ子が、いじめっ子の役を演じてお互いの気持ちを推しはかる事を目的として行われたりもします。
 私は、20歳の頃にTA(Transactional Analysis・日本では交流分析と呼ばれています。)と出会いました。J.o.モイ先生との衝撃的な出会いにより、私は全身に落雷を受けたかの様な感覚に包まれた事は一生忘れられない経験となりました。それは、モイ先生との会話に有りました。「あなたは、他人の心を手にとる様に分かりたいと思っているの?」(私)「はい、その通りです」(先生)「それじゃ、聞くけど、あなたってなーに」
(私)「・・・・」答えが出て来ない。しばらくの間があり、(先生)「あなたは、自分の事すら分からないのに、何故、他人の事を知りたがるの?」(私)「・・・・・」ますます言葉が出ない。暫くの静寂の気が流れ、
(先生)「あなたが出会うTAを創始したのはエリック・バーンなの」「バーンは、過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来だけであるって言ったのよ。」「あなたは、変えることが出来ない過去を変えようとする事や、変わってくれない相手を変えようとして疲労困憊する事と、変わる事が可能な自分と未来を変えようと努力する事の何方を選ぶの」と言われた瞬間、目から鱗どころではない、落雷を受けたように衝撃が全身に走り、鳥肌に包まれたことを覚えています。
 なんだか物凄い言葉を聴いてしまったのだと思いましたが、直ぐには咀嚼できませんでした。
 TAとは、自我構造の分析 ⇨  ①私は、怒りぽいのか・②優しさを全面に出した憂い哀しみやすいのか・③何時も冷静沈着で物に動じないのか・④明るく朗らかで楽しい事が大好きか・⑤何時もビクビクして依存的か、①〜⑤の何れの気持ちを私は沢山使っているのか? 
 交流の分析 ⇨   対人の交流はどうなのか?例えば上から目線ばかりの交流や、顔色を伺うような交流。隠れたメッセージが含まれた建前交流はしていないか。対人交流の中でも最終的に必ず拗れイヤな気持ちを感じてしまう交流をゲーム(拗れる人間交流)と言いますが、繰り返し同じようなパターンで拗れて行く人間交流をしてはいないか?を分析するがゲーム分析。どこか自分で決めたマズいルールに縛られて自分の人生を無駄に規制してはいないかを分析する人生脚本の分析と有ります。
 ①自我構造の分析②交流の分析③ゲーム分析④脚本分析を充分理解して自己を知りセルフコントロールの手助けとなり得るのがTAです。まずは自分自身の事の理解を充分進めセルフコントロール力を高めます。然るのちに自分を通して他者を想像してみる。ここで肝要なのは感じたことを絶対に相手を決めつける材料にはしない事。それに、徹して貫いて行くと次の鉄板ルールが理解出来てきす。
鉄板ルール
①自己責任の名の下に『私は、どう感じ・どう発言し・どう行動しようとそれは私の自由である』と同様、周りの人達もどう感じ・どう発言し・どう行動しようとその人の自由である事に違いはありません。
②『私は、他人から否定される事を好まない』と同様に、周りの人たちも、他人から否定される結果になる事は好まないのも紛れもない事実です。
 対人交流の際に、自分の感じ方や、考えが異なる人の存在を認める事が必要となります。異なる意見の人を好きになれと言っているのではありません。そう言う考えの人も居るのだと認める事です。それから、如何に此方に正義があり正しい事で有っても、他者が否定されたと感じるような結果になることは、避けるべきです。長い物に巻かれろと言っているのでも無いのです。自分の信念や正義を曲げろと言って居るのでもないのです。ただ時機は必要です。『機の気』と言う言葉も有ります。チャンスにも気があると言うことなのです。もしかしたら時期早尚なのかも知れません。『水は様々な型を受け入れ逆らわずその型に止まりますが、その間も意志を失う事は絶対にありません。流れる場所さえ見出せば滔々と流れ始めます。』
 やはり論語に、
子貢問友 子曰 忠告而善道之 不可則止 無自辱焉  (顔淵十二-㉓)
 子貢、友を問う。 子曰わく、 忠やかに告げて善く之を道き、
 不可なれば則ち止む 自ら辱めらるること無かれ。

 子貢が、先生に友人とのつき合い方について聞きました。先生がおっしゃいます。「友人に過ちがあれば、まごころを込めてその間違いを告げて、よい方向へ親切に導いてあげるのがほんとうの友情だ。もし、聞き入れられないときにはやめておく。しつこくしないことも大切である。無理をして自分がかえって恥をかくようなことはしないほうがいい」。
と云う言葉があります。
 上司からのクレームに対しても、明らかにコチラの方が整合性があり、上司の方に誤りを見つけたとしても、この本にこのように書いてますよとか、ネットにはこう書かれてますよの指摘は、例えそれが正解だとしてもそれは、正しいやり方とは言えません。「相手を言い負かして不愉快にさせない」事が肝要と思い、時期早尚だと意思は曲げずに機を待つ事です。聴く耳を持つだけのゆとりが無いのかも知れませんし、相手の様々な状況を想像する事です。意見を求められた際には、必ず私はを付ける事を忘れない事です。「この本にこの様に出ておりますが、私もそうでは無いかと思ったのですが?」と言うように。
 鉄板ルールの①②を思い出し如何に正義が有ろうともそう云う結果に陥る事は私は欲せない、正に「己の欲せざることを人に施す事勿れ」です。機を待ちましょう意思を持ちつずけ。そうして逆に己が受けた心地よく感んじた事はさり気無く進んで実践してみる心掛けがあれば、人生躓く事はなくなる事でしょう。

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