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水に倣う


 ロシアがウクライナに侵攻して随分となる。何だか心がとっても痛む。人は何時になったら戦争をなくす事ができるのか?
 かつてノベル文学賞作家でもあるシンガーソングライター『ボブ・ディラン』は、Blow-in’ in The Wind (風に吹かれて) で下記の様に投げ掛けた。

 How many roads must a man walk down  
 Before you can call him a man?
 Yes, and how many seas must a white dove sail,  
 Before she sleeps in  sand?
 Yes, and how many times must the cannonballs fly,  
 Before they’re forever banned?
 The answer, my friend, is blowin’ in the wind  
 The answer is blowin’ in the wind

 どれだけ道を歩めば 一人前だと認められるのか?
 どれだけ海を越えれば 白鳩は砂浜で休むことができるのか?
 どれだけの砲弾が飛び交ったなら 武器は永遠に禁止されるのか?
 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

 ボブ・ディランは、風の中にその答えを求めようとしました。
 東洋に於いては、水に学ぼうとすることが多いのではないかと思われます。『君子の交わりは、淡として水の如し』『明鏡止水』やら。易経では坎為水(二十九)や沢水困(四十七)の困難な状態を表す卦が有ります。西洋に於いても水が効果的に登場するシーンが有ります。忘れられないのは、映画や舞台にも成った「奇跡の人ヘレンケラー」のラストシーンでヘレン・ケラーがサリバン先生に井戸のポンプから流れ落ちる水を感じ「Wa・・Wa・・Wa・・・Water」と指文字を使いながら発声するシーンに心が打たれます。他にも映画から連想される『水』は、李小龍(ブルース•リー)の映画においてもみ観られます。大学で哲学を専攻した彼は、幾つもの言葉を残しています。『燃えよドラゴンの劇中シーンで稽古をつけた弟子に「今、どう感じた」と問うブルースに弟子は懸命に答えを考え出そうとする。頭を軽く叩いて、「don't think  feel ‼︎(考えるな 感じろ)」なんてシーンはゾクゾクっとしてしまいます。実社会に於いても、彼は唯一の師匠であるイップマンの詠春拳を基盤に、ボクシングやダンスのステップなどを取り入れた、截拳道(ジークンドウ)を創始する。総合格通技に欠かせないオープンフィンガーグローブ等も剣道の甲手(小手)にヒントを得て開発したと言われている。
 截拳道の弟子達にも
” Empty your mind. Be formless, shapeless like water………….Be water my friend. Running water never grows stale. So you just got to keep on flowing.”
心を空にして、水のように形なく。水になれ。人の真似をせず、あこがれにとらわれず、アイデアにとらわれず、自分そのもので流れ続けよう、水のように。
Be water my friend.『友よ水になれ』はブルース・リーの有名な言葉です。香港の自由化への抗議デモに於いても若者達は、Be waterを合言葉に離合集散を繰り返す戦術をとり、水のように機動隊や警察が来れば散り散りに離れ、隙を見てまた集まるを実行し政府関係者を翻弄したとの事です。水は逆らわず障壁を避け別れても後に、集まる。万葉集にも崇徳院の『瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あわむとぞ思う』と有名な詩が有ります。水に倣い学べる事は沢山有りそうです。水って何でしょうか? 水はつかみどころがなく柔らかい。水は高きから低きに滔々と流れ続ける。水は無形でありどのようは形にも収まる。水は障壁に逆らわず流れ続けるが、時として岩をも砕く力を内蔵する。あるがまま、なるがままが水の本来面目の妙。まさに優游として自適するのです。 
 政治と治療に共通して使われた文字は『治』です。古代中国において、水を制した者が為政者となり治療者に成れたから治療の治と政治の治は同じ字が使われているのです。(水毒 = 体液バランスの不調和は、東洋医学でもとても重要視されてます。)
 中国には黄河や長江と言った大きな川があります。川は度々氾濫を繰り返しては民の暮らしを困窮させました。秦の始皇帝に於いても然り、治水工事は各国の為政者達の至上命題だったのです。しかし、幾度治水工事をしようが一度氾濫しだすと止める事はできませんでした。ある時、大河が氾濫して自由気ままに流れる道筋を克明に記録し、その後、その流れた道筋に従って水路工事を行ったところ、増水しても造られたその水路に従い流れ出し、氾濫する事が無くなった事から優游として自適する(悠々自適)の言葉が誕生致しました。
 易経では、困窮した際は、水に倣え水に学べと云われます。どんな大きな病が降り掛かろうとも、人生が不如意で有ろうともジタバタと踠いてはいけません。踠けば踠くほど深みに陥ります。まるで川に落ちた人が踠けば踠くほど溺れてしまうように。力を抜き流れに任せれば浮き上がって来ます。その勇気が持てますか?浮き上がって来るまで間、力を抜き流れに任せるだけの忍耐はありますか?水の初めは、曹源一滴水、源流は一滴一滴と水を垂らして流れ出し小川で有ろうが濁り川で有ろうが文句も言わず天命を全うします。堰き止められようが、木や岩が障壁と成ろうが初信を忘れることはありません。器が有れば器に従い、どんな型ちにも順応しじっと待ち続け機を窺います、忍耐強く。焦らず慌てずジタバタせず、流れる場所さえ見出せばその機を逃さず流れ出します。今の自分が為せる事を粛々と。出来ない理由探しやら出来ない言い訳はしません。ただ初心を貫き信念を曲げる事は絶対いありません。ただ粛々と機を待ち続けるのです忍耐強く。
 Be water my friend. 水になれ友よ、水に倣え友よ、焦らず辛抱強く、水に学べ友よ、型に合わせ変化を受け入れセルフコントロールしよう、他をコントロールする事はせず。
 出来ない理由を考えず、言い訳せず、『時中』今やらなければならない事、やれる事をやれば良い。水に倣え友よ、明鏡止水、心を散らさず一心に空にして。水に倣え友よ。全ては水から(自ら)始まった生命も然り水に倣え友よ。

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