
人食いバクテリア 一般病棟編 前半 (4/n)
元日、一般病棟に移され一般病棟の看護師さんに引き継がれました。
非常に明るい若い看護師さんで世間話しも交えながら、手慣れた様子でテレビ、冷蔵庫の使い方、この病棟の説明をしてくれました。こちらは電子機器OKですが、この時点では未だスマートフォンも財布もない状態で、とりあえずテレビが観たいので開線してもらいました。
只、私の頭は未だ鎮痛剤等の影響ですっきりしなく未だ朦朧としていました。血中酸素濃度が低く酸素吸入は継続し、患部の左腕はCLAP、右手は点滴類、尿排出用のカテーテルも付いている為、自由自在とはいきません。
確認出来る範囲で身の回りを見ると、テレビと冷蔵庫が組み込まれているキャスターが付いた棚、これは書類や貴重品ロッカーにもなります。
後ろはスチール製のクローゼットで収納スペースは結構あります。
建物は若干古めで、4人部屋でしたが私を含めて3人いました。隣は蜂窩織炎で入院している(聞こえちゃいました)30代くらいの男性、斜め前は完全に寝たきりの老人でした。正直、私は自分がイビキをかきやすく他人に迷惑をかけるタイプですが、他人のノイズには弱い為、最初はストレスでした。
夕方頃テレビを観ていると、北陸の地震のニュースが舞い込んできました。只、規模の大きさはその時点ではピンと来ず、薬剤も効いているため今一つ現実感が有りませんでした。これがあれほど長期化するとは。
又、これが翌日の羽田の航空機事故にもつながり、自衛隊機で残念ながら死者ができましたが、旅客機側はたまたま奇跡が起きて死者ゼロでした。これが誘導が上手くいかなければ、墨東病院の救命救急センターにも私の症状の比でない重篤な患者さんが大勢振り分けられたでしょう。
1月2日、午前中に嫁さんが子供二人を連れて見舞いに来てくれました。恐らくちゃんとした会話が出来たのはこれ以降だと思います。救命救急センターから借りている手術着しか持っていないのでパジャマ問題、必要な備品、財布、スマホ等の持ち込みを相談しました。
子供たちは若干緊張しているのか、余り寄り付かないので、強制的に捕獲しました。それ以降、緊張が解けすぎてやりたい放題になりました。
それにしても病院の職員は皆親切で有難いと思いました。総合病院なので外来のイメージだと、結構事務的で冷たいと思いきや、ものすごく親切。ある年配女性看護士は特に優しく相部屋の斜め前の寝たきりの意思の疎通もままならない老人にも親しげに語りかけていたのが印象的でした。
又、男性看護師もいて、このフロアにはファンキーな髪形の若い人と中年男性の二人いました。ともに優秀でした。基本的に心根に優しさが無ければ医療関係者は務まらないと思いました。私は無理です。
只、日本の人口動態を鑑みると、通常医療でここまで手厚い医療をするのはもう限界を超えているのではないかと思いました。
1月3日、又、嫌な貼り換えが来ました。2回目です。おいおい、ちょっと頻度が多すぎないかとは思いましたが、まな板の上の鯉状態ですので致し方無し。わしゃわしゃを引っ剥がして消毒、痛い。この処置は数日おきにしばらく続きました。
入院中前半は基本的には午前中に4人くらいの医師が来て処置します。これとは別に点滴とCRAPの薬剤の入れ替え等は看護師が行います。
1月4日、念願の尿のカテーテル取り出しが有りました。若い男性看護師さんが来て、一瞬で終わりました。小学三年生の時に全身麻酔で右手の骨折の時はカテーテル引っこ抜くとき超絶に痛かったもので、身構えましたが大丈夫でした。古いことわざで、”案ずるよりも尿カテーテルを抜くが安し”とはこのことか。いや、俺の尿道がガバガバになっているだけか。
この頃からスマホを嫁さんに持ってきてもらいました。スマホが来るまではテレビしか暇つぶしが無かったので助かりました。ここからは面会の家族以外と連絡が取れ、まず社長に電話、会社の社員皆さんにメールが出来ました。スマホでニュースを検索でき、アマゾンや楽天で書籍や小物を購入し、院内一階のコンビニ受け取りにすることで、体の移動以外の不自由さが少なくなりました。
この時点ではもう1週間位で退院と勝手に想定していました。馬鹿ですね。
早くもリハビリが始まり、館内を点滴とCRAP/RENASYSの機械を押しながらではありますが、散歩できるようになりました。しかし、とある問題が発生していました。悪臭です。12/28ころから一週間程入浴していない為、臭いのです。
1月5日から左腕と点滴箇所をマスキングした上で、数日おきですがシャワーが可能になりました。もちろん介助してもらってのことです。滅茶苦茶すっきりしました。医療関係者が来ても、臭くてどうも申し訳ございませんという感じだったので、有難かったです。
又、衣類ですが、手術着を一張羅状態で着続けているため、これも臭いのですが、機械に繋がれているため、通常のパジャマや浴衣等は着れません。結局、Tシャツの左側を切ったものを持ってきてもらって着ることにしました。
又、回診に来た主治医から腎臓の数値がほぼ正常に戻りつつあって、食事も普通食になると伝えられました。又、点滴も常時から一日4回、更に3回へと減っていきました。
今から思えばどうかと思いますが、普通の病院食になって以降、タガが外れて嫁さんに筋子を持ってきてもらって病院食のごはんと一緒に食べました。差し入れで一番美味しかったものは筋子、その次がフルーツ類でした。又、弟二人が面会に来てもらう時に書籍とプロテインドリンクを調達してもらいました。病院食では力が出なさそうなもので。。。
只、病院食は通常食であれば、まずいということは無く、薄味ですが非常に美味しいと思いました。
1月10日ころには、1階のコンビニで買い食いする癖も付き、100キロオーバーから91キロ迄減った体重も微増してきました。