人食いバクテリア ICU編 (3/n)
2023年12月28日夜
「近藤さん!起きて!もう直ぐご家族来ますよ。」と呼び起こされました。(それ以前に医師と会話したような気もするが、記憶不鮮明)
麻酔鎮痛剤が効いているのでぼーっとしていました。体に力が入らなく、どうやら気道挿管され人工呼吸器に繋がっているようです。ピッ、ピッという電子音が聞こえるだけです。術後、救命救急センターのICUにいたのでした。
腕はなんとなく有るっぽいですが、どの程度残っているか分かりません。
気道挿管のため当然話せませんのでうなずいて意思表示するだけです。
間もなく嫁さんと上の子(娘)が付き添われてベッドの足元まで来ました。主治医のA先生から状態を説明されたとのことです。下の子(息子)は小さすぎるので待機室でお遊び、実は上の子も本当はICU入室不可だったみたいですが、この時だけなぜか通して頂けました。
嫁さんが「XXちゃん!パパに何か言うことあるー?」と娘に促しましたが、緊張したのか怖かったのか黙りこくっていました。子供なりにこれはヤバいな思ったらしいです。
家族の去り際に私は両手が塞がっているため、娘の緊張を解こうと足でバイバイと手を振るような動作をしました。
後日、看護師さんに「近藤さんのお子さん達、何なんですか!滅茶苦茶可愛いじゃないですか!」と褒められました。確かに目に入れても痛くない可愛さなもんで、そのうち目から入れて耳や鼻から出したいと思います(電撃ネットワーク方式)。但し、うちの家系は大きくなると顔が乱れて来るので、ちっちゃいうち限定で。
手術の当日夜、眠りについて謎の夢を見ました。ネオンカラーが鮮やかなの夜の遊園地のようなところで坂道を登らされたり、車でネオンカラーの景色があるところを走っていました。又、色鮮やかな夜の山火事も見ました。麻酔鎮痛剤で頭が狂ったのか高熱の影響か全て8K画質のOLEDテレビのような高画質っぷりでした。まあ、これもよくあることのようです。
ICUでは最初の2日間(12月28日ー29日)はナースステーションの真ん前のやや医療関係者の動きが多いところにいました。基本的には寝ていて、ちょっと目を覚ましてぼーっとするかです。
左腕(手術した側)はギプスシーネ固定されていて、大きく切開された外側箇所(この時点では大きく切開されたとは認識していなかったが)とは別に前腕外側手首辺りに二か所穴が空けられ、ボールペン位の太さのシリコンパイプみたいなホースが刺さっていました。これは腕の内部を通り2本のホースが肘辺りの炎症の強い部分まで埋め込まれています。しかも抜けないように皮膚に縫ってです。それが機械につながっていて、その機械に装填されている抗生剤が入ったごつい注射器状のシリンダー2本が自動的に押し出されて腕のホースからゆっくりと圧入される仕組みです。この抗生剤は点滴よりも高濃度で患部に近い部分に届くようになっています。それと同時に、RENASYSという陰圧閉鎖療法のポンプで傷の切開部分から染み出しをホースで吸い込みます。これらが合わさってCLAP(Continuous Local Antibiotics Perfusion)という新しい治療法らしいです。参考URL https://www.ismap-clap.com/
吸い込みの陰圧保持のため繊維の束のようなドレッシング材の上から更にフィルムをガッチリ巻いてを気密性を保ちます。手首から肩までです。
RENASYSのタンク部分には染み出した液がマンゴーシャーベットの様に半固体に固まって溜まってきます。
右手(健常な方)は点滴により抗生剤や鎮痛剤、ブドウ糖溶液やその他薬剤が送りこまれていると思われます。
両足は血栓防止用のマッサージ機能が付いたフットポンプ。
チンコにはカテーテルが刺さって、尿はタンクにたまる仕組みです。
その他、心電図のパッドのようなものやパルスオキシメーターも付いていました。
人工呼吸器が付いているため、口鼻が塞がり、この期間は何も出来ませんでした。要は寝たきり老人状態です。
救命救急センター及びICUの看護師はブルーやエンジ色の医者の手術着のような看護衣(海外の医療ドラマに出てくるようなカッコイイやつ)を着ているため、いまいち医師と看護師の区別がつきませんでした。
三次救急対応している病院のICUだけあって、看護体制はシステマティックで統制がとれていました。各看護師が一台ずつPCを乗せたガラガラを押してきて3時間おきに交代し、その度に薬品名全てを”なんとかマイシンなん足~”という感じで読み上げて引き継いでいました。
PCでの情報共有だけでなく、読み合わせも併用するのは大震災等で通信や非常電源まで麻痺した場合を想定して、バックアップ体制を日ごろの日常業務に取り入れているからでしょうか?
ICU前半で面白い看護師さんがいて、プロレスラーの飯塚 高史のような厳つい顔と体、坊主頭でちょっと髭を生やした荒くれ者風で、「近藤さんって事務職なんですか?てっきり土方系かと思いました!」と語りかけてくれました。自分もじゃん、と思いましたが体力が無かった為、軽くうなずいておきました。こういうのは気が紛れて良いです。この武蔵坊弁慶はICUの用心棒も兼ねているのでしょうか?
2日目か3日目くらいで気道送管のパイプがとれ、鼻から酸素は継続しましたが、口が空きようやく言葉が話せ水が飲めるようになりました。日に何度か違う整形外科医や内科の医師が訪れ状態について確認しました。幸いにも腕は切断を免れ、ひじ関節はシーネで固めているが指は動きました。医師によると腎臓機能が急回復してきていて非常に良い兆候とのこと。救急に来る前に抗生剤を飲んでいた為か、原因の病原体は恐らく溶血性連鎖球菌であろうが、まだ培養中で正確な特定にはもうちょっと時間が掛かる。血中か尿のカリウムが多いか少ないから薬を追加する等のやり取りがありました。
嫁さんは基本毎日面会に来てくれました。医師に許可が出たので炭酸水(本当はゼロコーラと言いたかったが遠慮して)を嫁さんに買ってきてもらい飲みました。これが冷えていて滅茶苦茶ウマい。入院中はウィルキンソン炭酸を毎日飲みました。
ICU内でも重症度の強弱があり、安定してからはややナースステーションから遠い場所に引っ越しました、こっちのエリアは小さく館内ラジオ(FM)が流れています。ICU内はスマホ等電子機器持ち込み不可の為、起きているときは館内ラジオを聞くくらいしかやることが無いです。頭がぼーっとしているため、それほど暇を持て余すことが苦痛ではありませんが、嫁さんの面会や医師看護師の問いかけは楽しみでした。
医師が日に何度も廻って来るので、状態について問診された後、若い医師に病名について初めて質問してみました。
私「これ、蜂窩織炎が悪化して敗血症みたいになったんすか?」
医師「いえ、病名は壊死性筋膜炎です。」
ここで初めて病名を聞きました。入院前に蜂窩織炎についてPCで調べていた際、壊死性筋膜炎の項も多少読んでいた為、「ああ、というとこは人食いバクテリア?」と思いました。
人工呼吸器が取れても、基本的に寝ているだけですが、唯一立ち上がる必要があることは”トイレの大”です。この場合、ナースコールで看護師さんを呼んで、機械や点滴をのキャスターが付いたポール2本を押してもらい水戸黄門の様にトイレに行きます。私の場合、早朝の忙しくない時間帯にすませました。入院前から下痢及び食欲不振で基本お腹が空に近い為、恐らく私は人工呼吸器をつけているときも含めて”トイレの大”で看護師に負担をかけていないんじゃないかと思います。
大晦日から食事が始まったような気がします。なぜなら年越し蕎麦的なものを食べた記憶が有るからです。殆ど塩分の無いつゆにソーメンが一口分だけありました。味は無くまさに腎臓病食です。
大晦日か元日の朝だったと思いますが、まず1回目のドレッシング材の交換がありました。手術した傷口は痛くはなかったのですが、水膨れでべローンとなった腕の内側は表皮が無い状態なので、ドレッシング材(因みにA先生はドレッシング材を"ワシャワシャ”と呼んでました。)が張り付いていて、貼り換えは非常に苦痛でした。只、デブリードマンした傷口およびCLAP療法のチューブの方が大事なので、ズルムケの皮膚は優先順位が低く、結構豪快に処置されます。手術後ではこれが一番嫌だったかな。
初回の巻き直しは陰圧の規定値が中々出ず、医師4人くらいが色々試行錯誤しながらの作業でした。ワシャワシャとフィルムの張り直し巻き直しの調整が結構難儀な作業なのです。緩いと外気が侵入し陰圧が出ない、きつ過ぎると吸えない等、難航したため、女医さん(A先生より若干年上、恐らくこの療法に詳しい)に「A先生、ちゃんと手術したんですか?」と問われ、「ねーさん!俺、ちゃんとやりましたよっ!」と威勢よく返答していました。ねーさん??? リラックスしつつ一生懸命に仕事をするこの若い先生達には好感が持てました。
元日昼くらいに引っ越す旨を告げられ、直ぐにCLAPの機材や点滴と共に車いすで一般病棟へ移動しました。押してくれたのはうちの子をかわいいと言ってくれた看護師さんともう一人偶然通りかかった看護師さんでした。
ICUの方々にはお世話になったので、挨拶もせず急に移動は申し訳ない感じもしましたがいつまでもICUに居座ることも当然できないわけです。
ICUは新棟ですが景色は悪く、一般病棟は景色が良いよーと聞かされました。
ー続くー