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「存在すること」の途方もない価値について。

私は自分なりに行動し、様々な学びをしてきたのに、何も社会的な価値を創造することができないし、不甲斐のない生活に甘んじて、ぬるま湯生活に生きている。

しかし、そんな自我の苦悩をいくら抱えていても、存在としての価値は揺るがないのだと気づく。
なぜなら、自分の「視座」はいつだってこの宇宙で唯一のモノであり、自分にしか体験できないユニークな存在であることは実感できるからだ。

それはこの世界を通して、無数のヴァージョンの人生、生命を生きたい!という、この世界を創造した存在の意志であり、願いの結果が、この世界の存在理由だと思うからだ。

だからこそ、誰もが唯一無二の価値を持つ存在として、ただ起きてくる現象を、観測者として様々な体験を十全に味わうだけなのだ。

現世的な価値を創造できても、できなくても、そこに存在としての無上の価値があり、生きることそのモノに存在としての価値は宿るのだから。


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