4.逃げられない海外という檻
落ち着いたころに私は母に尋ねた。
結局証拠って何だったの?って。
わかった、いずれ分かることだしねって
母は自分の机近くに私を呼び寄せた。
嫌な予感がした、聞かなきゃよかった、ていうかなにその引き出し?
開けたところ見たことないんだけど。
母は引き出しを開け、クリアファイルを取り出した。
そこには写真が何枚も入っていた。
今までの父の暴言、私たちが見えてなかった部分の悪行、日付、写真、内容
ワーすごい。
私たちは離婚するかもしれない。いやすると思う。いや分からない。
でもいずれあなたたちはどちらについていくか、決めてもらわないといけない。
すごいすごい情報量が、何の話?これは、え、何の話?
なんと父は不倫もしていたし、この行方不明の間は女の家に転がり込んでいたらしいし、ていうかえ?ワー。
こんな感じだったと思う、内心は。
父は昔から酒癖が悪く、一人で日本酒を一升飲んでしまうような、まあそういう人。
母はそれにいつも振り回されていたらしい。
私が唯一父を心の底から憎んだ話があり、今回の件とは別件であるが
でもその嫌悪感を膨張させるには十分な情報量だった。
まあその憎んだ話というものもかわいいものだけど。
私はむかしから片付けが嫌いで、苦手で、
部屋をよくごちゃごちゃにしていた。
父はある日その部屋を見てこう言った
「こんなに汚い状態でいいなら望むようにしてやるよ」と。
私の部屋に入ってきた父は私の部屋の引き出し、クローゼット、鞄の中身、筆箱の中身、気持ち片付けていた部分のところまで全部床にひっくり返し床に投げ捨てた。
あれ、何なら踏んでませんでした?おっと憎しみで記憶の改ざんかも?
別に汚い部屋が好きなわけじゃない。
片付けが苦手なんや。
仕方ないじゃん…。でもこれが教育。少なくとも彼にとっては。
ある意味これは暴力だったのかもしれない。
幼い時から怒られるときは2時間正座コースだったし、日本にいた時は真冬の外に裸足で放り投げられたりしてたし、こういう人かあと思ってたが。
海外生活が始まったころにはなんと酔っぱらって帰ってきたとき、私の顔をビンタしてた時もあったらしい(笑)まあ当の私は爆睡だったんで気づいてないんですが。
そのたびに母が止め、喧嘩し
夜が明け
私たち姉弟は起床し
何もない日を送り
また何か起こり
繰り返し
よく母は正気でいられたなといまさらながら思う。
父の職業柄を案じ、その行動は一部の人にしか愚痴らず、堪え、閉鎖的な日本人コミュニティ(しかも父は日本を代表して来ている仕事人なわけで…)で日々を送り、しかも言語が通じない南米での生活。
ワー、よ、ワー。
父が怖くなり、嫌いになり、一刻も早くいなくなってほしい
でもここは日本ではなく。
今いる場所は南米であり、父の任期はまだ残っている。
今まで持っていた不安というか違和感というか嫌悪感というか
そういうのがしっかりと形になった事件だった。