『君は生きてる 僕の中に』〜男役・春瀬央季が大好きだ。⑤
“大好きな春瀬央季さんへ”
恥ずかしいと思いながらも、手紙の書き出しはいつも決まってこれだった。
私は、母と祖母との幾多のぶつかり合いを乗り越えて、中学生のときから大好きだった男役の春瀬央季さんの最後を見送ることができた。
それは突然訪れた。
4月3日の夜。いつものように親からかかってきた電話だった。
LINEに届いた「電話かけてきてください」のメッセージ。
どうせまた、ちゃんとクリーニング出せとか帰省後やしご飯食べたー?の電話とかやろって思っていた。
◯「太郎アンタ、東京さ、、もうキャンセルした?」
わたし「なんもホテルとかも手続きしとらんから。もう勉強がんばるかr…」
◯「アンタ、東京いってこうい(方言:行って来たら?)」
え????
比喩ではなく、涙が止まらなかった。
母が許そうとしてくれたしたきっかけになったのは、たまたま流れてきたYouTubeのある動画広告だった。
その中で、コロナ禍だった高校生活。コロナで年に1回の観劇さえも我慢していたときも、太郎も頑張ってきたんやなと感じたと。
「行ってこい誕生日に。ばあちゃんも応援してくれとるよ」
「コロナに気をつける、行くとき相談する、悲しい気持ち引きずらずこんどは太郎が頑張る、これだけは約束して?」
母の言葉は力強かった。
実は帰省中の話し合いの過程で、そのときは許してもらえなかったが、それまでのお互いのエゴの押し付け合いではなく母に「田舎から宝塚連れてってくれて、(ムラ期間)春瀬さんが好きという気持ちを応援してくれてありがとう」と伝えることができた。
その数日後、母が友達と夜ご飯に行った時に祖母からひそかに伝えられた、「お母さん、その言葉とっても嬉しかったってさ。」と。
そのときは行けるなんて微塵も思っていなかったものの、これまで話せなかったことも含めて、着実に何かを乗り越えていっているような気がした。
諦めないで良かった……、このことは今思い出しても大きなものが込み上げてくる。
これは電話の直後大変お世話になったFFさんに実際に送ったLINE。(どちらの画像も同じ方です)
(炭治郎………)
⭐︎ちなみに太郎がやったことリスト
・伏見稲荷神社にお参りする
・寺の仏様を大事にする
・壁紙にするとチケ難のチケも取れたり告白成功したりと良いことが舞い込むといわれるモデルZutti様の画像をロック画面に
・電話には出る(ちゃんと出るようになったら回数減った)
・TOEICスコアアップ
(480〔1月中旬※IP〕→590〔ムラ楽後3/20本試験〕→685〔4/15※IP〕)
・レシートを財布に溜めない
・お年寄りに席を譲る
これからも続けていきたい!!
書き出すとキリがないし自分で言うのもあれだが、とにかくやれることをやり尽くした。
そしたら、思わぬところで抽選に当選したり、ちょっとしたラッキーなことが起こったりするようになった。その積み重ねで東京に行けたのだと思う。
また、行けると決まった後も、やれることはやった。ここまでくると運命を天に任せるしかなかった。
公演日が近づき、授業も手につかなかったあの日の夜遅くにようやく今まで我慢してた涙が出た。
電話に出てくれた友人は、私以上に喜んでくれて、、
本当に良い人たちにも巡り会えたなと思う。
沢山の方たちが、私の見えないところでも温かく見守っていてくださった話を千穐楽が終わった後に聞いた。本当にありがとうございました。
眠れなくてキッチンの掃除をしながら迎えた当日。
この日は自分の誕生日ということもあり、友人からのメッセージに心があたたかくなった。
春瀬さんは、5/1も最高にかっこいい男役さんだった。
ピーターがいつもより悔しそうに見えたのは私だけだろうか。
しっかりと目に焼き付けることが目標だったため、春瀬さんが出てくる場面では意外と涙をこらえられていたが、キャサリン(潤花さん)が歌う「愛の真実」の場面で1番泣いてしまった。
「行くな」と言われた時に宿泊先で涙ながらに歌ったあのとき。行けないことを思ったお風呂の時間。
“2度と会えなくても、天に誓えるわ、この愛だけは真実”
わかってもらえなくて、2度と会えないかもしれなくて、つらかったあの時を思い出して泣いた。
暗い心に閉じ込められた私にとっての”サンジョルディの騎士”は、だれよりも赤い薔薇が似合う春瀬央季さんだった。だからこそ、許してもらえなかった中でも勉強や日常生活に励むことができた。
群舞。ありきたりな言葉でしかないが、今まで見たどの春瀬さんの中でもいちばんかっこよかった。
男役として懸命にそして情熱的に輝く姿。
これが見送るということなのかと実感した。
袴姿の挨拶も、本当に男役を愛する人にしかできない、春瀬さんらしい挨拶だった。
私も、春瀬さんのようにコツコツ極められるものを持ちたい。それが私にとっての英米語なのだと思う。
春瀬央季
中学生で初めて見た時、なんて綺麗な名前なのだろうと思った。
人の名前がこんなにも好きと思うこと自体が初めてだった。
私が春瀬さんを好きになったきっかけの一つは名前
も大きかった。
つまり何を伝えたいのかというと、何をするにもこだわりがあって、めちゃくちゃセンスの良い男役さんというところが大好きだったし、現在進行形で憧れている。
中学生の私へ、しっかりそのこだわりを見逃さないでくれてありがとう。
私も20歳の1人の大人として、春瀬さんと共に新たな人生に踏み出していきたい。
春瀬さんが舞台から与えてくれたものはこれからも私の中で生き続けてくれると信じている。
正直何度もどうして誕生日なのと思った。そのせいで沢山悩んだ。そもそもの話やめないでくれたら良かったのにとも思った。
でも、ぶつからなければ、こんなにも皆さんとコミュニケーションも取れなかったし、親子の話し合いもずっとできなかったかもしれない。
そして将来についても特に考えることもなく、スコアも伸び悩み状態が続いていたかもしれない。
神様がいろんなことを考えるための時間を与えてくれていたんだなと、ふと振り返り感じるのだ。
今は、間違いなく私にとって最高の結末だったと胸を張って言える。
支えてくださった全ての方々に感謝の気持ちを忘れずに、皆さんにもけじめとして良い報告ができるよう、これからも勉強に励んでいきたい。
次の日、朝から新幹線で2限に間に合うように学校に向かった。
退団者のファンそれぞれが落ち着く選択肢があったと思うが、私は、涙を拭き、顔を上げて、学校に行くことを選んだ。
きちんとやるべきことがあって、友達に誕生日を祝ってもらえたことが5/2のわたしには幸せだった。
ドライな言い方になるが、良い意味で、決して私の人生の全てが春瀬さんではない。だが、人生の希望のエッセンスとして今もこれからも残ることは間違いない。
そのくらい、大好きだ。
20歳、専門学生の太郎です。男役・春瀬央季さんのファンでした。
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