愛について
胸を張って「人を愛することを知っている」といえる人はどのくらいいるのだろうか。
自分の話をすれば、私は多分愛することを知らない。こう書いてしまうとなんだか寂しい気もする。
猛烈に人を好きなって、あっという間に結婚した。そしてあっという間に別れた。結婚生活は2年で、それをあっという間と表現すべきかは個人によると思うが、とにかくその人にはもうなんの執着もない。
昔、こんな夢を見たことがある。
男と私が広くはないマンションの台所で料理をしている。黄金色の光が窓から差し込んでいたからあれは多分夕飯の準備だった。
光は妙に力強く、妙に陰り切った部屋の隅は息をひそめているようだった。舞う埃がやけに目立ってきらめいていたのを覚えている。
男は菜箸で飛ぶ蠅を捕まえた。私はそれを笑いながらナスを櫛切りにしている。圧倒的な平穏があった。同時に途方もなく切なかった。そのふたつが均等に混ざり合って空間に滲んでいた。少し均衡が崩れれば泣き出してしまいそうだった。
わかっていたことは、なにかが終わりに近づいていたこと。二人の関係なのか、世界なのか。とにかく終わってしまうものへと、二人は他愛もなく笑いながら近づいて行っていた。
夢から覚め半覚醒で余韻にふけっていた時、ふいに「あぁ、私あの人のこと愛していた」と思った。それははじめての気持ちで、静かな衝撃だった。鮮明すぎる感情だった。
そこに幸福感はなくて、あったのは心地のいい孤独だった。寂しくも怖くもなくて、ただひとりきり、ここに存在しているという力強い孤独だった。
愛というものが存在するとしたら
依存も執着もない純粋な愛というのは孤独なものなのかもしれない。
とこの夢を見てからそう疑うようになった。
人を想う喜びや苦しみは実はおまけのようなもので、本当は祈りのように静かなものなのかもしれないと。
そんな定義を疑いながらも持っているせいで愛に疎いのかもしれないが。
ちなみに唐突すぎることに、夢の中の男は武井壮だった(いつものタンクトップ姿)
それからしばらくテレビで武井壮を見掛ける度、動揺してしまったのは言うまでもない。