本棚について

人のお宅にお邪魔し、通された部屋に本棚があると、家人に断りを入れて本棚を見させてもらう。そして、しばらく眺める。

本棚にはその人が如実にあらわれる。勇気を持って断言する。なぜならこれは、数少ない私の信じている事柄だから。
ちょっと勇気が足りなくて注釈を入れるが、本棚を眺めて感じた違和感が追々恋愛の終わりの原因となることはしょっちゅうであったし、しっくりとくる本棚の持ち主はありがたいことに今のところ漏れなく好きな人達だから。
日記を盗み見るよりずっとその人のありのままの姿がそこにある、とほとんど確信に近く思う。他人の日記を盗み見たことがないから断言はできないが。

本棚にはその人のいろいろが素直な様子で佇んでいる気がする。
私から見て矛盾する本がいっしょくたに並んでいたとする。けれどそれは持ち主には矛盾しない本の集まりであることを知る。持ち主に自己紹介してもらうよりずっと、その人と接し会話してきた私の知る一部よりずっと、一人の人間の複雑さを、面倒な矛盾を、時には狂気さえ垣間見せてくれる気がする。
随分と読まれていない本もあるだろう。しかしまだそれが処分されず左奥にかたまっていたりするのが全てなのだと思う。

そんなことを考えながら人の本棚を覗くのは悪趣味かもしれない。
「そういうお前は人に本棚を見せられるのか」と問い詰められたら、私は少し自信の足りないぶっきらぼうな様子で「見たけりゃ見ればればいいじゃないか」と答えるだろう。
なぜなら分かってくれる人にだけ分かってもらいたいような知られたくないような私のいろいろが、私の責任を離れたところで並んでいるからである。

なんと気恥ずかしい告白だろうか。
noteをこのように使い続けようと大袈裟に誓う午前1時である。

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