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自分本来のエネルギーを感じる方法

 先日のワークショップのご質問から。
「『自分本来のエネルギーはこれだ!』と感じた瞬間があったのですが、客観的に感じる方法はありますか?」

 ご質問者さんは、「自分本来のエネルギーはこれだ!」と感じた瞬間があるとのこと。自分本来のエネルギーを感じた経験がある。しかも、それは素晴らしい体験だったという。なんだ、知ってるじゃん!わかったんじゃん!と私は思った。だけど、「客観的に」感じる方法があるなら知りたいという。
 私は、この「客観的に」というのが氣になった。だって、そう感じたのだから、それでいいじゃん!と思うのだ。でも、感じた自分の感覚を「これ!」と思いたいけど、自信がないとか、なんだか畏れ多いとか、おこがましいとか、自問自答している姿は想像できる。自分が体験した感覚を「正しい感覚だ」という保証、確証が必要だと考えているのかもしれない。「私の本来のエネルギーはこれです!」と確信するために。
 また、自分だけじゃなくて、誰かにそう思って欲しい、わかって欲しい、認めて欲しいのかもしれない。
 客観的という言葉の中にある「正しさ」という感覚が出てくる時は、証明したい、認められたい、思い込みだとしたら恥ずかしいなどなど、他者との関わり合いの中で、他者との比較の中で、登場しがちなことでもある。
そして、もし本当に本質があのエネルギーならば、もっと愛されるはず、認められるはずなのにという感情や本質のエネルギーでいられない時の私は愛されない、認められないというような信念も見え隠れする。シンプルにもっと愛されたいと感じている自分がいるのだと受け入れたら、きっと、もっといろんな自分が愛おしくなる。いろんな自分を愛することが自然になると、本来のエネルギーを常に感じられるようになる。誰にも証明する必要のない本質。魂の核というべき姿を感じられる。

 感覚は、まさに個人的な感覚という性質。客観性を求めようとすると、その「これ!」と感じたエネルギーを意識的に纏おうとして素晴らしい自分でいなければと頑張りすぎてしまわないだろうか。いついかなる時も、そのエネルギーでいられない自分を責めたり、否定したりしてしまわないだろうか。自分が体験したその瞬間が、どんなに一瞬だったとしても、自分がそう感じたら、それでOKではないか。

 自分本来のエネルギーは、誰がなんと言おうと、自分でわかる。そうなんだ。と、わかってしまう。

 ただシンプルにその時に「これだ!」と感じたなら、「そうか」とその時に感じておしまい。追いかけない、再現しようとしない。だって、本来のエネルギーなら、「今ここ」にいればそのエネルギーは勝手に流れる、湧き出ずる。それが本来のエネルギー。「今ここ」は、本当にパワフルで、本質でいさせてくれる。


 

 

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朝水久美子
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