変化が早い人の特徴
「変化が早い、遅い」は、私自身はあまり重要だと考えていませんが、多くの人は変化するならできるだけ早く明確に!と思っているのではないかと思います。
ズバリ変化が早い人には、ある特徴があります。
それは「素直さ」です。
魂が幼い人、もしくは、老熟している人に見られるシンプルさ。
地球学校システム理論でお伝えしている一年生と三年生には、共通点も多いのです。
「あ、そうか!」と感じたことを、そのままに生きること。
自分が良いと思ったことにシンプルにチューニングを合わせられること。
「あ!そうか!」
「そうなのでしょうけれど。。。。」「そうすれば良いのは分かっているんですけど。。。。。」
この違いです。変化の違いは。
それだけのこと。
もう一度、言いますが、私は変化の速度はあまり重要ではないと考えています。速度より、気づき(学び)の濃度・深度の方が後々、ものを言います。
魂が幼い人と老練な人の違いは、この濃度・深度に明確に現れます。
素直じゃないと、拗らせてしまい変化は遅くなる傾向があり、同じことを繰り返してしまったり、うまくいかないやり方に固執してしまったり、自分の都合の良い考え方を正当化することにエネルギーを注いでしまい、客観的な視点を見失ったりすることがあります。でも、そこにすら学びはある。拗らせることが悪いわけじゃない。でも、良い結果は来ないのですけどね。望み通りにならないという経験は、望みを叶える経験と同じくらい大切です。「気の済むまで、学ばない」「気の済むまで、良い思いをしない」と言うことも、人間にとっては好ましいことなのかもしれません。そのプロセスの中で、思い通りにならないことの中にこそ、自分の知り得ないものがあるのだと受け入れるしかないところへ行き着く。自分の知っている世界のちっぽけさを受け入れる。拗らせて、こだわっていたのがアホらしいくらいのミステリー(神秘)がある。そこに目を開くかどうか。これが目覚めるということなのだと私は思っています。
沢庵和尚の「完璧に決まっていて、完全に自由だ」という世界です。
そうなると、素直に「あ、そうか」と受け入れるだけだと思えてきます。それはとても厳しいことのようで、果てしなく大きな優しさなのだと感じられるからです。そして、幼子のような素直な心で、老熟なる深淵な喜びの中で生きる。留まることのない永遠の変化と普遍なる愛の中で生かされることを愉しめる。
先の見えない今を生きていますが、先が見えないなんて、いついかなる時もそうだったのです。変化をしてきたからこそ、生き延びられたのです。変化は進化。強くなるより、変化を受け入れて命を繋いできたのです。