50の手習じゃなくて50からの挑戦
あんぱんの木村屋といえば、銀座四丁目のランドマークのひとつ。
時計台のある和光の隣のビルに店舗を構え、あんぱんを売っている。喫茶やレストランも併設されていて、私は平日限定の10時から11時まで限定のモーニングがお気に入りだ。あのビルでパンが焼かれ、都内のデパートにも卸されているそうだ。
2020年春。コロナ禍で、銀座中央通りのほとんどのお店のシャッターが閉ざされた時も、短縮営業でパンの販売をしていた。銀座は、商業地域でもあるけれど、会社や病院もあり、意外かもしれないけれど、住宅もある。あの時期に焼きたてのパンを食べられたのは、大きな楽しみのひとつだった。コメもいいけど、パンが好きな私は、東日本大震災の時も、焼きたてのパンに恵まれた。震災の一週間も経っていない頃、確か、3日目とか4日目だと思う。仙台市青葉区上杉の石井屋さんが、プロパン施設があったことから一袋に10個の色々な菓子パン(!)を入れて販売していたのだ。あの時、暖かい食べ物を食べることさえ難しい時期に焼きたてのパンが食べられるなんて大感激だった。興奮して、話がそれたw。
都内の高級百貨店のデパ地下で展開されている木村屋さん。その創業者である木村安兵衛さんは、武士だった。ところが、明治になり、武士という身分制度が廃止になり、パン屋を創業したという。職業そのものが、しかも誰でもなることのできなかった武士という身分から、突然、肩書きも何もなくなってしまうという。時代の大きな変化は、働き方も、生き方にも、ものすごく大きな影響がある。パン屋を創業した時、彼は、50歳だった。50歳って言ったって、今現在の人生80年とか、100年という時代じゃない。その決意たるやいかばかりかと考えると頭が下がる。とてつもない大きな勇気をもらえたような気持ちになる。
突然、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなる。
2020年、全世界でコロナ禍に向き合うことも、大きな大きな世界の変化のきっかけになっている。今まであった職業や会社やサービスがなくなることも、今までなかった職業や会社、サービスが生まれることもある、大きなターニングポイントであると思う。そして見逃してならないのは、そのような大きな変化でも、何も変わらず粛々と必要とされ、続けられる職業、会社、サービスなどがあること。
もし、自分が、今まで通りにできなくなったら、木村安兵衛さんのように全く違う道へ進もう。
もし、自分が、何も変わらず必要とされたら、変わらない本質的価値を粛々と高めていこう。
私は、どちらかというと突然、バッ!!と何もなくなって、全く新しいことをしたい方なのかもしれない。この仕事を始めるまで無自覚であったけれど。
コロナ禍真っ只中の時、信じられないほど、穏やかで満たされた氣持ちだった。なんだか、何も怖くなかった。変わるのだな、という確かな感覚だけが強くあった。こうくるのかと。それでも、これまで通り、本質的価値を高めていくことをしていくのが、私の2020年のテーマなのだと思っていた。新しいことをきりひらきたい私にとっては、満たされた毎日は、なんとなく拍子抜けのような、リズムが狂うというか、贅沢にも、そう感じていた。だけど、自分は静かにフェードアウトしようなどとは思わない。結構、しつこいのだ。
37歳で安定した仕事を離れ、38歳で起業した。そして、木村安兵衛さんじゃないけれど、50歳で人生最大の決断をした。住み慣れた生まれ育った街を離れることになるなんて、想像もしていなかった。憧れだった心理カウンセラーになり、起業し、たくさんのお客様に恵まれた場所だった。胸いっぱいに愛だけを抱えて、振り返らずに進め!と魂が背中を押す。あの時は、自分たちはどうなっていくのだろうと思ったけど、同時に私はカウンセラーとしてやっていくということが揺るがなかった。神のはからいなのか、その後も、チャレンジは続いているが、変わらず人に恵まれ、運命に生かされている。
そして、今。生涯続けていく氣満々だったのに、来年(2025年)5月で心理カウンセラーを引退すると決断した。これも私の中では、大きな変化。このままフェードアウトをするつもりはない。肉体と精神が元氣なうちは、命を輝かせていこうと思う。その時、その時の私の心惹かれることを私を通じてやらせていく。最期の日までやりたいことをやっていく。生き抜くことに意欲満々。木村安兵衛さん、ありがとう!!私も挑戦は続く。
(この記事は、2020年11月2日に公開したホームページのコラムより転載、現時点での加筆を加えた。)