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このためだったのか

4月23日に初のzoomシェア会行った。ホームページの方に参加者のご感想と共に振り返りを書いたのだけど、二度美味しい、参加していない方も読むことでその雰囲気や気づきやインスピレーションを感じていただけたかな。
皆さんの感想がとても濃縮していて、本当は一気にひとつにまとめたかったのだけど、はみ出すぎて何回かにわけて。全員分掲載できず悪しからず。

シェア会の中で、様々な変化はある中で、
「この(コロナ禍の)ために今までがあったのか、と思えた。自分のコミュニティーのメンバーを助けることができるから」と言っていた参加者さんがいて、なんだか嬉しかった。そう思えることは、過去を肯定できて、今を肯定できる。すると、未来に肯定的なヴィジョンを描ける、行動につながるということが起こるからです。


誰かの喜びは、すぐさま自分のことのように感じてしまう私。そして、自分はどうだろうと振り返った。
すぐに東日本大震災を思い出す。あの時と比べてしまう。当時、この仕事を始めて7年目。事業として続けていくために、ふたやまくらいの難局どうにか越えて、卒業生さんたちと盛り上がってきた矢先だった。

有事には、魂の芯がメリメリと太くなり、いつも以上に底力が湧いてくるのだけれど、あの時は、廃業することも考えたわ。心のことにフォーカスするまでに早くて3年、5年はかかるだろうと思ったもの。それまでどうやってこの仕事を続けていくか、それとも、ほかにできることがあるのか。いろいろ模索しながら、「今ここ」という真髄を体験した。明日のことはわからなかったから、今を生きるしかなかったんだけど。それでも、愉しかったし、有難かったし、いっぱい助けられた。

東日本大震災は、仙台市内(津波被害なし)の私でさえシビアだった。すぐそばには、さらにシビアな現実があったし、福島第一原発の事故もあり、その時、出来る限りの想定をした。思いに反して、それから仕事は広がり、北海道から九州まで活動領域が広がり、様々な人との出逢いに恵まれた。そして、今もこうやってこの仕事を続けているわけなのだけれど、震災のメンタルについてダイレクトに相談が始まったのが、2016年だった。5年かかった。その時には、私は、仙台を離れることが決まっていて、ものすごく複雑な気持ちだった。でも、その時はもうすでに自分の力ではどうしようもないような流れに乗っていて、自分の経営能力のなさはもちろんのことだけど、私の意志とは関係ないような押し出されるような感じだったことを、もうついこの間のことのように思い出す。私は自分の不甲斐なさに、東京に引っ越してからも、いつまでも自分を責めたりもした。そして、そんなちっぽけな自分の思考を遥かに超えるような導きにだけは心を開こうという自分もしっかり見ていた。だって、私には、この仕事の他の選択肢をどんなに真剣に模索しても、心が動かない。この仕事は、どんなに振り切ろうとしても、心が惹きつけられて離れない。私は、私の魂は、強烈に惹きつけられている。もし、これが恋ならば、こんなに燃え続けることはできない。これはもう、愛なのだと、愛としか、思えなかった。どこからくるかわからない、私の中で流れるもの。
そして、この仕事を続けるためには、最高のサポートが入る。もうそれはまるで奇跡が起こったように。どうしてこの流れでこうなるの??というようなことが。もうこれは、神様が用意してくれたとしか思えない。

東日本大震災では、いろんな方から言っていただいた「学んでいてよかった」「出逢っていてよかった」という想いを、当時、受け取りきれない私がいた。まだまだ何もやっていない、という感覚だった。もちろん、そんなことはない部分もあるし、自分の微力さも知っているつもりだったけど。きっと、私は、自分が何をしようとしているか、今よりわからなかったのだろうとシェア会の彼の言葉を聞いて気づかされた。


そして、思った。私、やってきたじゃん!よくやってきたじゃん!と思えた。そして、時を越えて、東日本大震災の時に、クライアントさんや受講生さん、卒業生さんの言葉がやっと私の中に入ってきた。

私が私の祈りを。
その時よりわかったからなのかもしれない。

そして、私も「このためにやってきた」と感じられるのが嬉しい。満足はしてない。どこまでも貪欲だけど、私にはみたい世界がある。それは私の力だけでは見ることのできない世界。だからこそ、自分のできることに純粋でいたい。力を抜いて、できることを。
それぞれが存在し、完全な調和が創造されると私の魂は確信し、そこへ向かっている。

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朝水久美子
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