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Swing low, sweet childhood
2024年8月、帰省を余儀なくされる。毎年バイトや合宿を言い訳にして帰省をおろそかにしていたものの、今年はそうはいかなかった。前期の授業が終わる前から、今年の夏は絶対に帰ってきてもらうから、用事は入れないでおくように、と釘を刺されていたためだ。実家に恨みはないが、実家では生きている心地がしない。夏休みは9月から始まるものと覚悟を決めて帰省に臨んだ。
食に不自由することはなく、キッチンは毎朝綺麗な状態にリセットされる。寝たり起きたりしているうちに洗濯物は畳まれた状態で置かれ、私の仕事はと言えば、買い物先での荷物持ちと、運転免許を取得した去年からは運転係が加わって、それでもそのくらいである。さて、そんなぬくぬくとした極楽のような環境で、どうしてか家のどこにいても気が休まらない。同じマットレスと枕がここには置いてあるのにも関わらず。両親が仕事にでかけたあと、一人には広すぎるリビングで、必要以上に大きい液晶に映る洋画を見ながら、昼下がりの健康的な日差しを採り入れた部屋で、やはり息をとめているような感覚がずっとある。もしくは、時が止まっているかのような不安。さして一人暮らし先の土地で遊び歩いているというわけでもないが、なぜだか、部屋干しの洗濯物が日光を阻んで常に薄暗い、あの雑然とした部屋が恋しく感じた。あの場所で時間を無駄にするのは、ここでそれをするよりはるかに素敵だったことに気づく。
中旬、親戚の集まりに行く。帰省するのが久々ともなれば親戚に会うのも久々であり、お決まりの「前はこんなんだったのに」を何度も言われる羽目になった。手で身長を示すあのジェスチャーは全国共通だろうか。実のところ名前すら覚えていない親戚からの質疑応答を、愛想笑いでやり過ごし、早々に父の後ろに隠れた。情けないとは思うのだ。思うのだけれども、わたしが自分のことについて腰を据えて話すほどの必要性は双方ともにないだろう、ということもまた自明であったのである。そんなことはみな承知の上での宴会というものが今日に至るまで日本津々浦々で開催されている。私は出される食事をありえない速度でかきこみ、とりあえずこの場を楽しんでいるというメッセージを発信する。もちろんすべての料理がおいしい。ただ、もとより食べきることを前提として作られていない量であるために、パフォーマンスの一環に用いたとしてもうしろめたさを感じるということがなかったというだけである。「〇ちゃんは昔からよく食べるねえ」と口々に発する親戚たちを横目に、わたしの分の小皿は空くことが無かった。これは、親戚の集まりの場で常に最年少者になってしまう私がずっと続けていることである。実際には、食べ盛りはとうの昔に過ぎているけれども。そうして無心で飯を食らっていると、見慣れない小さな子どもが私の目の前に現れた。それを連れているのは従姉だった。「ひさしぶりやなあ!前はこんなんやったのに~」と言われ、いやあどうも、と返しつつ、そこで私は小さな女の子について一つ思い出した。数年前に従姉は子どもを産んだのだった。それがこの子だ、とすぐに分かった。何歳なの?と聞けば、従姉が「なんていうの?」と仲介し、その子は「5さい!」と答えた。5歳。人生5年目。人生について語るには至らない若輩である私ながら、パーにした手を見せる彼女の爛漫さが眩しかった。
食事が終わるとお茶の時間となり、私の生家を含む親戚が各自で用意したおびただしい量のお土産が開封される。ひとつふたつつまんで、コーヒーを飲み干すと、私は自然な流れで立ち上がった。親戚の集まりが行われるこの父の実家の広間の奥には、アップライトピアノが置いてあり、それが目当てだった。私は従姉の子どもと話してみたくて、ピアノの傍までいって彼女に目線を送ってみた。するとその子は駆け寄ってきた。昔、親戚たちが自分には分からない話をし始めたとき、習ってもいないピアノの鍵盤を叩くのが時間つぶしに最適だったというひと時をふと思い出す。彼女はピアノを習っているそうで、きらきら星やドレミの歌などを弾いてもらった。うまいねと言えば誇らしそうな顔をする、ピアノスツールに座ったままのその子と、しばらく話をした。話の中で従姉がママと呼ばれていることが感慨深く、また突然告げられるその子の恋愛事情(お相手をフルネームで教えてくれる)に驚いたりして、私はずっと笑っていた。そして私が自分の身分について明かしていないのに気付いて、私はあなたのママのいとこなんだよ、と言うと、「そおなんだ。」といかにも興味のなさそうな反応が返ってきて、さらに愉快な気持ちになる。ずっとそのままでいいからね、と願うように心の中でつぶやいた。
私が帰るとき、従姉に「〇ちゃんにバイバイは?」と言われたその子はポカンとしていた。私がさきほど関係性だけ告げて名前を言っていなかったからだった。それを思い出して、「あ、私〇ちゃんて言うの。今更だけど」と返すと、聡明な5歳児は「〇ちゃん。バイバイ。」と手を振ってくれた。帰り道を車に揺られながら、近いうちに私も「前はこんなんだったのに」を言う側に回るだろうことを確信した。なるほど、親戚の子どもというものは、非常にかわいいながらも、面と向かってこちらが名乗るのは(その子の人生において)出しゃばりすぎのような気がする、絶妙な距離感を持っているものだ……と、親戚最年少の座を従姉の子どもに譲ってようやく、他の親戚の気持ちが少しは分かるようになったつもりの私である。
大学の同級生が、各々の帰省を終えてあちらで遊んでいるらしい。SNSでその様子を眺めては羨ましく思い、またそのうちの何件かにお誘いを受けては丁重にお断りする日々を過ごしている。さっさと戻りたいとは思いつつ、この夏、両親に言われるがまま素直に帰ってきたいくつかの理由から目を背けることができない。すべては私の責任なのだけれども、今まで対話らしいものをおおよそ放棄してきた私にとって、その理由の根源を解決するのは時間がかかることだった。念には念をと8月のバイトのシフトをほぼ0にしたものの、このままだと本当に8月末まで実家にいることになりそうである。はやくしなければと焦りつつ、今日もまた母の作った手料理を温めては嘆息するばかりの一日だった。私の夏休みはいかに。