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剣豪【宮本武蔵(むさし)】のミニ・バイオグラフィ

推理クイズ本『世界の偉人は名探偵』〈1987年版〉の[P.127-128]から引用。


放浪の剣豪 宮本武蔵(日本 1584-1645)

_彼が晩年に書いた『五輪の書』によると、二八、九歳までに六十数回、試合をして、一度も負けなかったという。だが、相手はほとんど無名の剣士ばかりだから、たいして自慢にならない。_彼の試合で有名なのは、佐々木小次郎との巌流島(がんりゅうじま)での決闘である。試合開始は午前八時であったが、武蔵はわざと遅刻して、一〇時ごろ、小舟で島に到着。待ちぼうけを食わされた小次郎は、憤然(ふんぜん)と波打ち際まで迎え撃ち、「武蔵、臆(おく)したか!」と長刀を抜きはらい、鞘(さや)を海へ投げ捨てた。武蔵はそれを見て、「小次郎、敗れたり。勝つ者がなんで鞘を捨てようぞ」と一喝(いっかつ)して相手の心理を乱し、舟の櫂(かい)で打ち倒した。フェアプレーなやり方ではないが、生死を賭けた真剣勝負では、心理作戦も兵法の一つである。_この試合で、ようやく武蔵の剣名は全国にひろまり、彼は将軍家や有力大名へ、コネをたよって就職活動をしたが、「異相があり、性格がかたよっている」とか「剣の技に不足はないが、人の上に立つ器量ではない」と見抜かれて、売りこみに失敗する。_やっと熊本城主の細川忠利に拾われたのは五七歳のときである。一七人扶持(ぶち)、玄米三〇〇石の年俸(※ねんぽう)だった。自負心の強い武蔵にとって、あまりに低い待遇だったが、もはや寄る年波で放浪にも疲れ、これが最後のチャンスとあきらめて仕官したのである。_それから五年後に死ぬまで、『五輪の書』や『兵法三十五か条』『独行道』など、世上に名高い兵書を書き残したが、その内容は平凡である。むしろ、墨絵のほうに鋭い気迫があらわれている。結局、剣の術のみすぐれて心の悟りに達しないまま、不遇な一生を終えた。_妻帯しなかったのも、剣の修行に女色を断ったからではない。四〇年にわたる放浪で、妻を養う生活力がなかったのである。

「年(ねんぼう)」ではなく「年(ねんぽう)」が正しいらしい。知らなかった。 



私は宮本武蔵をモデルにした映画や漫画を鑑賞した記憶がありません。有名なのは「巌流島の戦い」でしょうか。私はテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』で子供の頃に観た記憶がある。映画『魔界転生』(81)には出ていたか。
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つげ義春『噂の武士』にも宮本武蔵が出てくるが、最後にどんでん返し…。


武蔵に関しての、上から順に「映画」「テレビドラマ」「漫画」のリスト。


アイキャッチの画像は『ガキのころから漫画まんがマンガ』(1987年)で夢枕 獏氏が言及していた、原作:梶原一騎/作画:小島剛夕の『斬殺者』より。

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全巻セットを買ったが、まだ第1巻しか読めていない。
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