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【聖三角形の夢】 川本三郎によるフランス映画『冒険者たち』評 ※ネタバレしています※

冒険者たち』(1967/仏+伊)に主演しているアラン・ドロン(1935-2024)が亡くなったらしい。昭和のテレビではよく男前(二枚目、ハンサム、イケメン)の代名詞として使われていた。私は大橋巨泉の『クイズダービー』で初めて耳にした。私は彼に思い入れは特にない。本作は、映画公開時に若者だった世代に強く支持され伝説化した映画なのでは、と想像。私は△佳作評価。

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LD(レーザーディスク)のジャケット写真に掲載の『聖三角形の夢』より

_ロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」は、冒険アクション映画としてよりも青春ロマンとして当時この映画を見た若い世代にういういしい印象を残した。それはこの映画がジョアンナ・シムカスを中心にリノ・ヴァンチュラ、アラン・ドロンという二人の男が作りあげる、愛情と友情が美しく溶け合う理想の関係を描いていたからである。_一人の女性を中心に二人の男がいる――当時、私たちはこれを“聖三角形”と呼んでいた。そこには、大人の関係にありがちな生臭い嫉妬や心の〈もつれ〉が入り込む余地がない。ジョージ・ロイ・ヒル監督「明日に向って撃て!」のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードとキャサリン・ロスの関係のように「冒険者たち」の三人の関係は、現実の愛を越えた夢のようなものだった。三人はときには恋人同士に見えたり、兄妹に見えたり、原っぱで遊んでいる仲の良い子供たちに見えたり……見ていて羨ましくなるような彼らだけの世界を作り上げていた。_二人の男を前にしてジョアンナ・シムカスはいつまでも夢見る少女のままでいることができた。ジョアンナ・シムカスを前にするとアラン・ドロンもリノ・ヴァンチュラも時間の壁を一気に乗り越えて少年(あるいはガキ)に戻ることができた。彼らは大人の世界から脱出して夢と冒険がまだそのままの形で残っている子供時代に帰ろうとした。一人一人でいればただの大人になってしまうところが、“聖三角形”になるとそのままピーター・パンやハックルベリーの世界に溶け込んでしまうことができるのだ。_三人とも現実の世界では失敗者である。脱落者である。アラン・ドロンのマヌーは凱旋門飛行に失敗して飛行士のライセンスを取り上げられる、リノ・ヴァンチュラのローランドは夢の競争自動車を作ることに失敗する、ジョアンナ・シムカスのレティシアは彫刻家として世に出る夢を破られる。三人が三人とも社会のなかで生きることに失敗している。それはたぶん三人の夢のベクトルが現実のベクトルと違う方向を向いていたためである。_しかし彼らは、現実のなかで失敗することで逆に子供時代に帰ることができた。現実の勝者になることはできなかったけれど、逆に愛の世界の主人公になることができた。_アラン・ドロンの乗る複葉機、リノ・ヴァンチュラの試作車、ジョアンナ・シムカスの着る未来ルックのドレス(デザインは当時、一世を風靡した未来志向のデザイナー、パコ・ラヴァンヌ)、三人がアフリカの海で乗る船(スクーナー)と潜水服……この映画にはそうした、子供の頃に遊んだ玩具を思わせるような遊戯的小道具がたくさんでてきて見るものの気分を少年時代へ、少年時代へと戻してくれる。リノ・ヴァンチュラの乗った車を上空からアラン・ドロンが複葉機でじゃれつくように追いかける遊戯的瞬間の楽しさ。批評家に個展を酷評されて悲しむジョアンナ・シムカスを何とか慰めようとするリノ・ヴァンチュラとアラン・ドロンのけなげさ。ジョアンナ・シムカスを前にすると二人の男たちはとてもやさしい気持ちになってしまうのだ。そしてジョアンナ・シムカスのほうも二人の男を前にすると成熟した女というより、少年のようなモノセックスの化身になるのだ。_ジョゼ・ジョヴァンニの原作ではレティシアの役はロレントという少年だった。それをロベール・アンリコは映画化にあたって女優に変えた。この女優は決して女っぽさのない、清潔感のある女優であることが必須の条件だった。ジョアンナ・シムカスはみごとにそれに応えた。彼女の少年のような魅力があるからこそ“聖三角形”の夢が叶えられる。彼女だから現実の世界から突きぬけて夢のなかで遊ぶことができる。恋愛を現実の生臭い感情のやりとりから救い出し、夢の結晶に作ることができる。_「冒険者たち」にはジョアンナ・シムカスと男とのセックス・シーンは皆無だし、キス・シーンすらもない。彼女はただ男二人にはさまれてあま色の髪を風になびかせるだけなのだ。“子供の時間”に戻った二人の “少年”にはそれだけでもう充分に幸福なのである。だからこの映画は正確には青春ロマンスというより、子供たちの冒険と夢の映画なのだ。_だがそれにしてもジョアンナ・シムカスはなんと美しかったことだろう。真っ青なアフリカの海で泳いだジョアンナ・シムカスが海から船にあがってくる。そのとき、水が彼女の身体を美しく光らせる。彼女は一瞬“水の精”になる。銃弾に当たって死んだ彼女の遺体を残された二人の男が海に葬送するのは、彼女が“水の精”だったからこそだろう。そういえば、レティシアは海に浮かぶ小島が大好きな女の子でもあった。_三人の人間の作る“聖三角形”の向こうには、レティシアが愛した海と太陽と水の作るもう一つの“聖三角”があるようだ。

LDのための「書き下ろし」なのか、川本氏の過去の文章の「再録」なのか、私にはわかりません


90年代のキムタク(木村拓哉)」は「イケメンの代名詞」として機能していたと思う。竹内まりや『今夜はHearty Party』(1995年)に歌詞と声で出演。


あと、「女1+男2」のユニット?も、90年代には「ドリカム編成」という言葉があった。「男1」に色んな不祥事があって脱退し解消されたが。《デビュー当時の女性1人・男性2人の編成は「ドリカム編成」と形容された。


私が知ってる「レティシア」という名前が印象的に出てくる切ない歌


海外の評価 ※↓英語圏では有名ではない?

フランスAmazonカスタマーレビュー


LDのジャケット写真 ※裏面より引用

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v615365925


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#アラン・ドロン #リノ・ヴァンチュラ #ジョアンナ・シムカス #ロベール・アンリコ #ジョゼ・ジョヴァンニ #フランス映画 #青春映画 #聖三角形

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