人との違いを恐れて
初めての、投稿で何を書こうか悩んで
どんな人が書いているのか知って欲しかったので
今までの生い立ちを五分位で読める記事にしようと思うので、家事や仕事の間にでも読んでくれると嬉しいです
そして、この記事が誰かの一歩を踏み出す力になれればいいなと思っています
言葉の壁に悩んだ幼少期
1993/05/04 生まれ 幼少期から何事にも興味を示し、落ち着かない子供だと母は言っていた
その後、父の仕事の関係でアメリカへの転勤が決まり
3歳から6歳までアメリカに住む事になる
幼少期の事で覚えている事は少ないが一つだけ覚えている事がある、海外に渡りいきなり聞いたこともない言葉で話している姿に恐怖を覚えたのは良く覚えている
それから、数年が経ち英語と日本語が話せる様になり
母が言うには頭の良い子と言われたらしい
しかし、この経験が後に良からぬ方向に進んでいく
叫ぶ事でしか気持ちを伝えられない
それから、日本に帰国していきなり難題に打ち当たる
ひらがな、カタカナ、漢字を小学校入学前の数ヶ月で覚えくてはならない
もちろん、そんなに簡単ではない事は分かっていた
だが、無情にも時は過ぎていく
あっという間に数ヶ月が過ぎ、不安な気持ちが大きいまま入学式へ
始めての授業、それは自己紹介から始まった
一人また一人と自己紹介を終えていく、そして自分の順番が回って来て緊張からか日本語ではなく英語で自己紹介をしてしまったのだ
自己紹介を終えた後の反応は分かっていた
なんで、日本語で話さないの?と言う視線が伝わってくる
子供は良くも悪くも素直である
素直であるが故にコントロールが出来ない
最悪なスタートを切った入学式
周囲と馴染めないまま時は過ぎ、そして周囲の行動も
エスカレートしてイジメへと変わっていった
その影響からか、感情のコントロールが出来ないようになり、何か気に食わない事があると泣き叫び暴れ回る様になっていた
そして、学校には行かなくなり3年間と言う短い小学校生活は幕を閉じることになる
信じたくはない現実
学校に行かなくなり数ヶ月、母親が自分の情緒不安定な所に懸念を抱き精神病院へ
自分でも人は違う事は分かっていた
病院へ行くとMIR、脳波、心理テスト、1日掛けて色々な事を調べられた
心なかでは「こんだけ、調べてもなんも出ないだろ」そう思っていた
だけど、そんなに現実は甘くはない
ADHD(注意欠陥多動性障害)、広汎性発達障害、パニック障害そう医師から告げられた
頭の中が真っ白になった
そして、畳み掛ける様に「入院したほうがいいかもしれません」と医師から告げられたのだ
それに対して自分の親は、「それも考えないといけないですね」と言うのだ
正直、もう誰も信じられなくなっていた
この続きを話すと永くなるので次の機会に
人と違う事を「個性」だと思う
それから、数年が経ち
大手運送会社の社員になっていた
毎日、朝8時〜23時まで働き、休日は寝て過ごして終わる
そんな毎日を過ごし嫌気がさしていた
そんなある日、Kさんと言う方が書いてるブログに出会う
同い年、海外旅行の写真、高級なフレンチ、ブランド物のスーツや時計
「何が違ったらこんな人生送れるのかな」と思いながらブログを見ていた
そして、「弟子募集」と書いてある記事が目に付く
その時は、何か変えてたい一心で気付いたら応募していいた
それから、Kさんの仕事や物事の考え方などを学び
少しずつではあるが結果が出るようになり、今ではフリーランスとして正社員時代より稼げる様になった
今後このブログでは
自分の体験を元に記事を書いていくので
こんな人に出来たんだったら自分にも出来るかも
そう思ってもらっで構わないので、誰かの後押しになればと思っています
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