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1.心構えと宣告の日

12/5(日)
落ち着かない心境の日のなか、この日は夜に本と自由でライブイベントがあった。
これだけは絶対行く!と張り切って予約していたのは「よりどころ」というタイトルのドッグフード買い太郎とオカダノリコ(敬称略)の大好きなツーマンライブ。
コロナ禍でライブ自体も開催が減っていたし、私もなかなか行っていなかったところで好きな場所で開催される好きなアーティストは見たかった。

よりどころ、というタイトルは全部終わってからああこれそのもののことだったのかな。と思うようなイベントだった。
何度か視界が霞んで前が見えなくなりそうになりながらうたを聴いた。
大事なものを丁寧に取り出してみせてもらったような夜で、来ていた人たちも、コロナ禍前のいつもの顔がたくさんあって、同窓会みたいだね、ってみんなでお喋りして。
主催のミカカさんとスーパーサポートのタナさんと、なにより本と自由って場所が、このすごいツーマンライブに最高に効いててたのは、ちょっとやそっとじゃできることでは無いチームワークなんだ。
良い夜だった、良い夜というのは明日もそう思えて明日もいい日になるというようなことをオカダさんが言ってた。

だから私も今週の難関はこれできちんと対応できると思った。

こういう意識に初めからなれたらどれだけ良かったかとは思うが、宣告直前ではあれど、この日のライブで私の前を向く体制はようやく整った。

12/7(火)
9:15に大手町のセブンイレブンにて母と待ち合わせ。昨年の11月に六本木で昼食をとって以来なので、会うのは1年ぶり。
が、特にその感慨に浸る間も無くすぐ甲状腺のクリニックへ。
診察券がすぐ出ずにもたついた。
私はやっぱり落ち着いてないのかもしれない、と思った。
腫瘍は2つあって、1つは悪性であること、もう1つは悪性とも良性とも判断が難しいグレーであることを聞いた。
取り出さないとわからないそうだ。
悪性というのは、がんのことである。
甲状腺のがんにもいくつか種類があるが、中でも一番多い、乳頭がんとよばれるものが考えられると。
がん。
やっぱりか、と言う気持ちだった。
周りから大丈夫だよ、と言われてたけどなんとなく「大丈夫ではない気がする」という口に出したくない直感の様なものがずっとあったのは、コレだったのかというむしろ安心感の様なものさえあった。
はっきりと結果を聞いたことで、ショックとか悲しさは無くなり、それが何でどうしたら良いのかの究明の方に気持ちがシフトする。
なので、かなり平然としていた。
受け入れようと思っていたからかもしれない。
先生が病状、手術内容、入院の意思確認、紹介予定病院があることなどを丁寧に、かつ慎重に話してくださったのも、とてもよかった。
質問はないですか?と聞かれて「治療費って高いんですか」と全くズレた事を聞いてしまった。
しかし私には死活問題でもあることではあるし、一応ネットでも調べてはある。
提携先ではないのでわからないけど、と前置きしてくれた上での値段と、高額療養費にあたるので、限度額適用認定が取れることを教えてくれた。
話をがんに戻すが、とりあえず致死性があるものでもなく、ほとんどの確率で治るものらしい。
医療テクノロジーありがとう。
今からめちゃくちゃ頼ります。

母は母なりに病院を調べてくれていたので、東京の原宿にある、甲状腺手術の実績が高い病院を選ばなくて良いのかと気にしていた。
だが、私はこのコロナ禍でわざわざ東京に出向いて手術を受けるのが嫌だった。
どちらにしろ面会もできないだろうし、何より移動中にコロナになるリスクもあるからだ。
クリニックが提携している病院は家からも歩いて行ける場所にあり、シマちゃんが出産した病院だった。母のスマホには全国の甲状腺手術のランキングが表示されていたが、13位だったので、別にいいんじゃないかと思った。
私はその提携している紹介予定病院が良いです、と伝えた。
その病院には甲状腺のクリニックの先生も手術に立ち会うこともあるそうで、「ここの休みの日の水曜に手術に行くので、もし手術が水曜なら私もいます。」と仰った。
先生休みないんか。

結果を聞いた後は、わかったからそれを快方に向かわせることに進めるだけだ!という晴れやかな気持ちすらあった。
気持ちが前向きであることを確認したくて、病院の階段を降りて、声に出して独り言みたいに「やったー。」と言った。

朝食を食べていない。と言うと母に嫌な顔をされたが、クレドまで行き、アロフトに入った。
いつの間にかオシャレにリニューアルされていた。たまごサンドが美味しくて、美味しい美味しいと言って食べた。母は今朝の時点で祖母や妹、叔母にも伝えていたようだったので私から言わなくてもいいかな、と思った。
あまり言いたくない気持ちもあった。
しかし、ゆっくりしてる暇はなくて、13時から武蔵美で講義があるのですぐ解散、帰宅した。
授業準備をしながら、少しずつ近い人たちに結果の報告を送る。
がん宣告のあった日に授業で自分の人生を喋るとは走馬灯みたいで何というタイミングなのだろう!
しかしこのお陰で、緊張は講義にスライドしており、実際のところ、講義は朝の病院のことなどすっかり忘れたかのように集中して(というよりテンパって)取り組めた。
90分も画面越しにリアクションが読めないまま大勢の前で話す、というのはかなり不安なことだ。一度リハーサルしていたので、その時のことを描きながら、且つ時計を見ながら絶妙なタイミングで終えた。
質問が思いの外たくさん出ていて、質疑応答は時間をオーバーしたが、残ってくれた学生も割といてくれた。
サポートチームの学生さんも、先生方もかなり興奮気味に感想を伝えてくれたので、多分面白かったんだと思う。
ホッとした。
私も多分興奮してたのかもしれなくて、終わった後「眠りたい」と思った。少し寝た。
寝てたらはやーんさんがまさかのインスタで電話かけてきたので操作が分からず出たらビデオになっててめちゃくちゃ慌てた。
インスタ電話できるんだ。

まだまだボケっとしてる暇もなく18時からは別の会議のzoomミーティング。
なぜ今日に限ってこんなに重なるのか。
重要な確認事項や指示を聞きながら、どのタイミングで打ち明けようか悩みつつあっという間に1時間過ぎて焦る。
半ば空気を壊すように言う形になってしまい少し反省しているが、1人がフォローを入れてくれて打合せは少し早めに切り上げることになった。

20:30近くになってようやく広島駅前で改めて母と合流。待ち合わせにゴタゴタあったが、その辺は家族なので仕方ない。しょうもない喧嘩になりかけながらもミカカカフェにお邪魔した。
お客さんはかっつんさんがいたし、ミカカさんにも診断結果と、母と行くことは伝えていたから待っていてくれたようだ。
普段はお酒を飲まない母だが、がんばってくれたのかレモン酎ハイを頼んでいた。ハッピーセット頼んだら母はかなり喜んで食べていた。かっつんさんもミカカさん(飲んでない)も気を遣ってくれたお陰で、母もホッとしたんじゃ無いかと勝手に思った。私も知ってる人のいるお店で、広島で生活していても斯様に周囲の善意に支えらているので大丈夫だということを見てもらいたかった。
たしか22時位にお店を出たと思う。母のホテルの前まで見送り、自転車で帰った。

とてもとても、長い1日だったな、と思った。
人生に何度かあるであろう、忘れられない1日があるとしたら今日は確実に入るだろうと思いながら就寝した。
一気に安心した気持ちの方が大きく、すぐ眠りについた。

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