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ほんとの空を観ながら

【智恵子講座2020】(智恵子のまち夢くらぶ 主催)・・・二本松の公共施設で11~12月にかけ『高村光太郎の人生と芸術』と題して、全5回 4人の研究家による講演。その第2回に参加した。講師は、高村光太郎連翹忌委員会代表、『巨星 高村光太郎』著者の小山弘明氏。

『道程』と つまずき

小山氏は「自分は何を措いても彫刻家である」という本人の言葉を踏まえつつ、高村光太郎を【総合芸術家】と位置付けた。随所に、詩『道程』を登場させながら、その人生と芸術を【3つのつまずき】という観点から、優しく平易に話された。そのつまずきとは、一、父との対立、二、智恵子の心の病と死、三、戦争協力。

『道程』 僕の前に道はない
     僕の後ろに道は出来る
     ああ、自然よ
     父よ
     僕を一人立ちにさせた広大な父よ
     僕から目を離さないで守る事をせよ
     常に父の気魄を僕に充たせよ
     この遠い道程のため
     この遠い道程のため               

(大正3年・1914年2月9日に作られ、「美の廃墟」3月号に発表されたが、そのときは102行の長詩。それが9行の詩となり、詩集『道程』が刊行されたのは同年10月。)

この後ろに出来る道は、ひたすら歩いている最中、本人にとって一直線かもしれない。が、それを俯瞰すると様々な軌跡が現れよう。その軌跡が、即ち小山氏の仰る【つまずき】。それは"転機”にも置き換えられそうで、高村光太郎が総合芸術家たるに欠く事ができず、彼が放つ人間味そのものであろう。

高村智恵子の真価を問う地元の志

時を超えて読み継がれる名作の共通点は、「普遍的に今を問う力」だと思う。中でも『智恵子抄』の凄味は、超個人的でありながら広く一般の心に伝わるバイブレーション。お涙頂戴は以ての外、自らを突き放すが如くcoolに仕上げた客観性だ。本講座へ参加された地元の方々の熱心な様子に、改めて、『智恵子抄』、光太郎、智恵子の偉大さを噛み締めた。

光太郎の呼びかける「父」

講義には、目の覚めるような発見も多々…例えば、『道程』で呼びかける「父よ」は、高村光雲…つまり肉親のそれでは無く、広大な自然を指し、ロダンの意志を継ぐものでもあること。

そして、戦争協力に至る光太郎の意識の変化ーそれは、芸術家たるが故の社会性欠如が、妻智恵子の発病・死の引き金という見解から、大衆へ身を投じようとしたところ、時局は戦争一色であったという悲劇。私自身、ずっと納得できずモヤモヤし続けていたのだが、この解説はすとんと胸に落ちた。

又、彫刻『手』は台座からなる木の部分とブロンズの構造であること。ふと、学生時代に学芸員実習をした長野県・穂高の碌山美術館で、光太郎の『腕』が放っていた異彩を彷彿とした。彫刻家萩原守衛(碌山)の死を「神様の計算違いだ」と嘆いた光太郎の詩『荻原碌山』に感動したのも同時期だった。

あの時、あの出会い、そして今

阿多田羅山、ほんとの空の美しいことよ。智恵子講座参加は、稚拙な牛歩を続ける自分の後ろに出来る道の節目になりそうだ。

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