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疑問!発見!『智恵子抄』

個人的な感情が、深淵さ、純度、崇高さ、詩の完成度…等により、
普遍の文化となった「智恵子抄」。
初版は、龍星閣。太平洋戦争開戦の年に刊行された。
龍星閣・澤田氏が高村光太郎へ智恵子を綴った詩をまとめて出そうと提案し、当初拒んだ光太郎が時間をかけて編集構成したもの。

〈 抄 〉とは?

刊行の際、太郎は「木っ端をはさむな」として6つの詩を削除したという。
数々の中から抄出したからこそのタイトルが「智恵子抄」だ。
その後、白玉書房から昭和22年に二つの詩が加えられ出版されたが、又元の形のまま龍星閣が真紅の装丁で世に出した。

本により、詩の順序等が違う?

現在、複数社から出ている書籍には、
当初光太郎が木っ端として省いた作品や、龍星閣から「智恵子抄その後」として出された中の作品もまとめて一冊にしたものがある。ゆえに、刊行当初の<29の詩、6つの短歌、3つの散文>ではない『智恵子抄』が存在する。正直、こういう事ってアリなのかと疑問に思う。

高村光太郎研究の第一人者・北川太一氏

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http://koyama287.livedoor.blog/archives/5178654.html
今年1月に亡くなった北川氏は、『地域雑誌  谷中 根津 千駄木 其の九』で、何故光太郎だったのかと問われ、こう語っている。
【…二十歳になったら皆死ぬと思っていた自分達の世代、楽しみに読んだのは賢治の作品や、光太郎の「道程」「智恵子抄」位だった。
11か月間戦地へ行き、敗戦で戻って来て、自分が戦争に対して罪があるとすれば、戦争の本質を知らなかったことだという心境に至る。
そうしたら、岩手の山の中にいる高村光太郎はどうしているだろうと無性に思った。光太郎に対峙することは、戦後の自分の生き方を決める大事な操作だった】。氏は大正14年生まれ(染色家の志村ふくみさんと同年)。

光太郎智恵子に関する本は、本当にいっぱい出ている。
しかし、事実を見つめた上で抑制のとれた主観が述べられなければ、
信ずるに値しない。
北川氏は、高村光太郎全集の編纂にも尽力。別巻には「聞き書」が収められている。光太郎は「一生懸命聞けば、一生懸命話してくれた。人を区別するところが無く、高村先生と呼ばせない雰囲気があった」という。「聞き書」も、光太郎の仕事や生活が伝わる素晴らしい内容だ。

光太郎の肉声

詩は、漢字にルビがないものもあって、そこは自由さの現れなのかもしれないが、作者の中にはしっくりくるオンがあったはず。
是非、知りたい。

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実は、CDで光太郎の自作朗読が聴ける。カセットテープしかないかと困っていたところ、高村光太郎連翹忌委員会の方が教えて下さった。光太郎の有名な書にも『正直親切』とあるが、有難いことこの上ない。
多くの方に聴いて頂きたい一枚である。


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