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九十九里
高村光太郎智恵子が頭を離れないここ数年。智恵子が療養した九十九里で、ご来光を拝みたい!そんな野望を抱いた。
…しかし元旦起きられず、情けなし。
日を改め、昼間の九十九里へ。
東金九十九里道路の今泉PAには、二人の像が立つ。
九十九里ICを出るとすぐ、大きな国民宿舎。その裏手に、智恵子抄の碑がある。
石碑は海に向かって立つが九十九里波乗り道路に隔てられ、バイクの音などが騒がしくて残念。
付近のトンネルの向うには、全長60キロ以上と言われる海岸が広がる。
智恵子と遊んだ千鳥の足跡…
昭和9年、智恵子は田村別荘と言われた屋敷で療養。田村別荘は移築保存されるも今は無く、元あった場所に建てられた「智恵子療養の跡地」の標柱も朽ちてしまったという。
標柱を立てたのは、九十九里町役場の隣に以前あった「いわし博物館」で学芸員をなさっていた女性。しかし標柱を立てた翌日、職場で起きた爆発事故で亡くなっている。衝撃を受け、元いわし博物館へも立ち寄った。
現在テニスコートになっている智恵子療養の跡地だが、中々場所が突き止められず、国民宿舎のフロントに手がかりを頂いた。結局、地元の方に教えて貰う事が出来、感慨ひとしお。
一大目標を達成後、浜焼きを堪能。
折角なので犬吠埼へ向かう。
ーしかし、その道のりは遠く途中で日没を迎える。
ご来光は拝めなかったが、「太陽に吠えろ」ばりの落陽であった。