はじめまして
声で生きたくて、ナレーションの仕事をし、語りの舞台に立ちます。
ナレーション
学童保育、人形劇、CATVなどを経て、三十路寸前でナレーターになりました。今まで一本一本有難い仕事を続けられていることは本望。そして、もーっとナレーションをしたい、勿論メジャーな現場も踏みたいです。
語り 朗読
熟年層の朗読人口は多く、発表会なども盛ん。私も熟年です。一般の方との違いは、趣味ではないこと。
〈語り手〉と称しますが、正直、呼び方なんてどうでも好いです。本持つのが朗読で、持たないのが語りだと聴いたことがあるけど、そんなのナンセンス。話になりません。
ただ読むのではないーわざわざ作家の作品を借り、わざわざ聴いてもらいます。聴き手の想像によって成立する話芸。手前勝手ではありえない、相互作用です。だからこそ「何を伝えたいか」という、真実ある表現を目指します。
note
大好きな作家さんが「生きる事自体が表現だ」と仰いました。同感です。自分が生み出すのは手につかめる物ではありませんが、noteで言葉に落とし込んでいきます。
今、何が出来るのかー
世情の激変で活動が制約される中、outputが滞ると消化不良になります。ここが音楽や絵など(勿論、聴いてもらってこそ、観て貰ってこそというアートティストもいるでしょう)との違いの一つかもしれません。
緊張が続く日々に、文化や芸能による潤いも必要。しかし、政府のガイドラインには当てはまらない小さな活動には指針すらありません。
戦時下でも地下でオカリナを吹いていた人達がいました。アンネだって小さな喜を懸命に見出すことで絶望と戦ったはずです。
2020年に楽しみにしていた能『道成寺』が約1年後に延期され、2021年2月末、観に行きました。そのパンフレットには【能は不急かもしれませんが、不要ではないと信じます】とありました。鋭く胸を打ちます。能楽師の登竜門的な作品であり、一度最高潮に達した意識と技を、空白期間も保つのは至難の技でしょう。自身も、そのプロフェッショナリズムに倣い、目標を見出してゆきます。