一日一レヴズ☆静岡ブルーレヴズと静岡をユルユル語ります☆27日目〜『ミスター』の足跡〜
日本初のプロラグビーチーム
🌸静岡ブルーレヴズ🌸
トップリーグ最後の年に続き、このチームを率いるのが、監督・堀川隆延さんです。
1973年生まれの48歳。早稲田大学出身、現役時代のポジションはSO/FB、レヴズ=旧ヤマハ発動機ジュビロ一筋に生きる人生です🌟🌟
ファンの私は勝手に『タッキー』と呼んでいます🙇♀️
真っ直ぐに伸びた背筋💐、端正な横顔💐
いつみても美しい方です🌟🌟🌟🌟🌟
実は😳😳
タッキーのご経歴を初めてみた時、
【ヤマハ発動機は、なぜこんなにタッキー推しなの⁉️】
と驚きました。
2005年に現役引退された後の人生、
アスリート第二の人生で、こういうケースはあまり聞きません。私が知らないだけかも知りませんが💦
先日、その理由がなんとなくわかりました。
ラグビーマガジン2001年10月号
私はこの『一日一レヴズ』で、一度タッキーを取り上げました。
これを書く際に読んだラグビーマガジンの記事。同誌編集者達がジュビロ磐田の練習風景を目撃したのは理由がありました。それは、
隣で練習するヤマハ発動機ラグビー部を取材するためでした。前シーズン関西社会人リーグA7位に沈んだチーム再建のため、大幅な補強が行われたのです。
その補強の目玉が、日本代表SHでもあったベテラン
村田亙(わたる)さん でした🌟🌟
補強は効果的面🌟🌟
迎えた2001シーズン、ヤマハ発動機ジュビロは、関西社会人リーグAで、神戸製鋼に次ぐ2位に大躍進🌟🌟
村田さんのインタビューが、ラグビーマガジン2002年1月号増刊に掲載されました。
翌2002年/2003年シーズン、ヤマハ発動機ジュビロは、
(下掲レヴズ公式HPより)
(写真 同 中央のスーツの男性右の選手がタッキー⁉️)
あの神戸製鋼をも撃破🌟🌸🌟しての優勝🏆
この大躍進を引っ提げて、2003年のトップリーグに参入、神戸製鋼には敗れたものの、トヨタ自動車に勝利。シーズンを3位という好成績で終えることができました🌟🌟
村田さんの加入がタッキーを進化させ、ハーフ団2人の活躍がチーム躍進の原動力となったとは😳😳
村田さんが加入したシーズン、タッキーは28歳になっていました。この当時ではベテランと言っていい年齢です。
もちろん、タッキーは入部当初からずっとチームの主力であり続けましたが、村田さんとの出会いが、【選手人生の転機となった】、と言えるかもしれません。
それは言葉だけではなく【数字】に表れていました。(以下、ラグビーマガジン2004年4月号より抜粋)
トップリーグ初年度、2003/2004シーズン、ヤマハ発動機ジュビロは、4人もの選手が全試合フル出場を果たしています。そして、タッキーも、
途中交代はあったものの、全試合先発出場していました。(この項目では、堂々1位🌟🌟)
それだけではありません。
この年の得点ランキングは5位🌟🌟🌟🌟
ベストキッカーランキングも4位🌟🌟🌟🌟
タッキーは、当時のチームにおいて欠かせない
いわば【替えのきかない男】になっていたのです🌟🌟
その後もヤマハの躍進は続きました。
(上掲チーム公式HPより)
私は昨年『2005年マイクロソフトカップ決勝』の映像を見る機会がありました。
当時の画像の荒さに驚きましたが💦、後半から出場したタッキーの横顔は、勝負に打ち込む厳しいアスリートの表情そのもの😳😳背負う責任の重さが日々その面差しを創っていたのでしょうか。
ここまで筆を進めながらつくづく思いました。
先日、清水エスパルスユース監督に就任した澤登正朗が【ミスターエスパルス】であるように、
タッキーもまた、第一次ヤマハ興隆期の立役者であり、かつ『ミスターYAMAHA』の1人なのだと💐💐
だからこそ、
【新チームでの初代監督】に相応しい人なのだと🌸🌸🌸
古くからのファンの方には、当たり前のことかもしれませんが💦💦
でも、こう知ってみると、改めて、【リーマンショック後のチーム縮小から日本選手権優勝まで】の険しい道のりを生き抜いたタッキーの努力と心の強さに頭が下がる思いです🥲🥲
新チームの開幕戦まであとわずか。
2022年1月30日
ヤマスタでの晴れ姿を楽しみにしています🌸🌸
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