2021年も女性は『エリザベート』に共感する〜私の人生、誰のもの⁉️〜
(トップ画*ウィーンの王宮庭園内にひっそりと佇むエリザベートの夫、オーストリア・ハプスブルグ朝最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の銅像)
♪誰のものでもないの この私は♪
宝塚歌劇の金字塔、上演すればチケット完売の鉄板ミュージカル
『エリザベート』
もともとは、オーストリアのウィーンで上演されていた、ちょっと暗くて退廃的な作品。
黄泉の帝王 トート(原作では『死』)
オーストリア🇦🇹ハプスブルク家最後の皇帝 フランツ-ヨーゼフ一世
その皇妃 バイエルン公国出身の貴族 エリザベート
エリザベート暗殺者のイタリア人無政府主義者 ルイジ-ルキーニ
ルキーニがストーリーテラーとなり、ハプスブルグ家の栄光と落日が歌で綴られていく。
その中でのメインテーマ、エリザベートが歌う
《私だけに》
ドイツ語の原題を直訳すると
私は私だけに属する
となり、その意味で、この日本語訳は実に的を得ている。
このミュージカルが初演された1990年代、日本の社会は
かわいくて逆らわない&気の利くSmile0円の女の子
を求めていた。
この作品がヒットしたのは、もともとの楽曲の素晴らしさが『愛と夢の宝塚風アレンジ』と強烈な化学反応を起こした結果、ではある。
ただ、当時日本女性が置かれていた閉塞的な社会状況も大きく影響しただろう。
女性は、死ななければ自由は得られないのか、というこの作品の問いかけは、当時重かったに違いない。
ルキーニに暗殺されたエリザベートが、幸福に満ちた顔で黄泉の帝王トートに導かれるラストシーンは、ある種救いがない。
初演から既に30年以上経とうとしている。
日本の女性はもはや『エリザベート』を必要としなくなっただろうか。
答えはNOだ。
相変わらず『手作りの3食とかわいいお弁当』作りを求められ、そうじと断捨離のスキルを求められ、ツルツルの肌とスリムな体型を求められ、
『個』を主張すれば叩かれる。
SNSの浸透は、同調圧力を増幅させて、ますます顔を出しての自分の意見は言いにくい。
変わらないんだなあ、世の中って。
いや、本当は変わっているのだ、それなりに。
でも、それなりに、しか変わらなかった。
学生時代親しんだラグビー観戦を再開してから、女性の不自由さが身に染みるようになった。
スポーツの世界は古い。日本は特に。
女性アスリートや現場の女性スタッフ、その苦労は察するにあまりある。
エリザベートは、スイスで暗殺されるまで、自由を求めて終わりなき旅を続けた。
秩父宮ラグビー場に集まる女性達、
家に帰れば、職場に戻れば、
子供にケーキを焼くママ、であり、
職場のパワハラに苦しむ会社員、であり、
親の介護にため息をつく嫁、であり。
だからこそ、
『ほんのひと時の安らぎ』を求めて、チームに選手に声援を送っている。
SNS上の呟きを日々目にするようになって、人生が苦しいのは自分だけではない事に気づいた。
そして、
束の間の自由を求めて、楕円球を追うのは私だけではないことも知った。
SNSはずっと敬遠していたけれど、決して悪いものではない。
これで人生の孤独が癒やされるわけではないけれど。
エリザベートが旅を続け、『死』で初めて安らぎを得たラストシーン、
その意味が少しづつ判る様になってきた。
歳をとる、とはこういうことなのか。
いや、
このラストシーンに共感してはいけないのだ。
人は 生きてこそ。
幸せは 生きてこそ。
(生涯妻エリザベートを愛し、その帰りを待ち続けたフランツ・ヨーゼフ一世は、現在妻と息子ルドルフと共に市内の教会に眠る。)