フワッとしてる自分
ここ何日かかなり浮わついてます。そわそわと気持ちが落ち着かない。文章まで浮わついていたら本当にごめんなさい。
私は田舎の山奥の小さい町で育ちました。ずっと都会の生活というものに対しての興味みたいなものはあったのだと思います。高校は少しでも都会に近いところが良いという理由で選んだような気がするし、運良く受かった東京の大学に行ける事も「東京で良かった」と思っていた気がします。仕事も東京で就職する事が出来ました。流れるようにここまできたけれど、それでも自分の「都会に憧れる」欲に忠実であったのだと思います。そんなある時、仕事帰りにふと思ったのです。昔読んだ小説や漫画の中のキラキラとした憧れの場所を今自分は歩いてる。けれど、都会の夜のネオンの街を歩きながら、ふと迷子になってしまってるような、なんだか現実感のない自分にも気付いていたのです。私はこのままどこまでいくのだろうか…。
憧れの都会の街で、流行りの洋服を買う事やオシャレなカフェに行くこと、キラキラとしたものに惹かれそれを自分で稼いだお金で手にいれていく自分が好きだった。親元から離れて1人生活出来ている自分を、完全に自立できていたと思っていたのですが、それは「糸の切れた凧」状態だったのかもしれないと今は思います。どこか得体の知れない恐怖や不安は常にあって、それを考えないようにして、どんどんキラキラしたものに依存していったような気がします。
そんなある日、急に自分の感覚がすべて「0」になった瞬間があったのです。「0」どころかむしろ零度以下だったのかもしれません。ふいにいつか見た映画の中の「血の雨」が降るという映像が頭の中を過りました。未だにこれをどう説明すればいいのかよく分からないのだけど、簡単に言えばこの時本当の自分の心がいつのまにか消えそうになっていて、悲鳴をあげた瞬間だったのかもしれないと思うのです。この瞬間から私は今までのようにただただ宙を漂う事が出来なくなってしまったのです。
またこれも適切な表現かわからないのですが、「思考が出来ない」とか「想像が出来ない」とかそんな感じの毎日が続いていったと思います。心の余裕が全く無くなってしまったのです。何かに思い悩む事はあっても深く追及せずに、流れされるままに生きてきて、自分を見失い、感情のコントロールが出来なくなっていました。普段からなんとなく疑問に思う事から逃げ続けて、のらりくらりと生きていたツケがまわってきたのかもしれません。
それから本当に少しずつですが、今は心の安定というものを取り戻す事が出来ました。「安定」って自分にとってやはり大事なものみたいです。本当に自分が心から楽しめる時間というものを大切にするようになりました。今は地味ではあるけれど、それも楽しいと感じる自分も発見出来るようになりました。
私はきっと恵まれた環境で生まれ、育ってきたのだと思います。普通のごくごく一般的な家庭だと思います。特別な日には欲しい物や必要な物を与えられていたけれど、かといって「あれが欲しい!」とねだったところで、すんなり手に入る事はほとんどなかった気がします。でもだからといって我慢をする事が特別可哀想なことだとは思いませんでした。それなりに満たされた幼少期を送ってこれたのだと思います。色んな意味で真面目な両親の元に生まれて本当に良かったと今は思います(笑)
そして、ここ何日か久しぶりに今まで以上のフワッとした感じが甦ってきた気がするのです。それってなんなんでしょうかね。思考する余裕みたいなものがまた生まれたということでしょうか。フワッとする自分を窘めつつも、それでも、あーでもないこーでもない、こうなったらいいなあーなったらいいなと思考や想像を膨らませる事が出来るのは本当に楽しいことだなとあらためて思うのです。