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白い猫の話

   同じアパートに十年も暮らすと、周りの景観も少しづつ変わってくる。  月極駐車場だった所は小奇麗なワンルームマンションになり、私のアパートの隣の旧いアパートは取り壊され、モダンな一軒家になった。今も景観は変わりつつあり、建設中のマンションが二棟ほどある。  この辺りのアパートは、大抵ペットを飼うことを禁止されているのだが、中にはそれを守らない者もいるようだ。  私のアパートの隣が解体されたとき、大家に黙って飼われていた、二匹の若い兄弟と思しい猫が取り残された。まさに路頭に

    • 墓参

       街路樹の枝先が芽吹いて淡いみどり色が眼に清々しい。そんなある春の日のことである。  太一が運転する青いヴィッツは、ウィークデイの東名高速を西に向かって快調に走っていた。途中、海老名のサービスエリアで休憩し、御殿場インターから一般道に下り、国道二四六号線の交差点を右折した。太一の隣には叔母のめぐみ、後ろの席にはめぐみの妹の洋子が座っている。  彼女たちは女ばかりの四人姉妹であるが、一人は十年前に他界した。それが太一の母親で、彼女たちにとっては長姉のえい子である。    ヴィッ

      • タイトルはありません

         昔の話をひとつします。  そのころ、私は代々木にある予備校に籍をおいていた。しかし授業にはほとんど出席せず、パンを製造する工場の夜勤や引越しの荷物運びなど、短期のアルバイトで得た小銭を新宿や渋谷の路地裏で浪費するような日々を送っていた。  ある冬の日、西武新宿駅と道を挟んで向かいにあるパチンコ店から出て、輪ゴムで括られたレコード針の束を両替所で換金し、その足で靖国通りと交差する所まで来ると、ファーストフードの店先でたむろする者たちのなかに知った顔を見つけ、思わず下を向いた。

        • 釣行奇譚

           ひとりの男が魚釣りに行く。  男は昼下がりに家を出て、深夜にポイントがある入り江に着く予定である。  魚釣りを趣味とする者の多くがそうであるように、その男も万事に怠りのない性分であった。クルマのトランクには、メーター級の鱸がかかっても取り込めるようなよく撓う竿や、木の葉のような鰈の魚信も手に伝える繊細な竿が積んである。小海老も掬える細かい目の網や、消波ブロックに付着した牡蠣をこそげおとすためのシャベル、それを砕いて撒き餌にするためのハンマーまで用意してきた。  男の住む街

        白い猫の話

          TAKE

           日当たりの良いフローリングの床にベッドの側面を背にして坐っている。時折カーテンが膨らみ、五月のさわやかな風が部屋に吹き込んでくる。膝の上のギターを爪弾くおれの横にはTAKEが居る。TAKEとこうして二人きりになるのは久しぶりのことである。  世界でも屈指のサッカー選手であるTAKE。  スペインリーグでの試合をこなし、また日本代表チームの中心選手でもあるTAKEが実家に戻ってくることは滅多になかった。たまに帰省して、こうして兄であるおれと二人で居ても、どこか気を遣っているよ

          太一の決断

           暦の上では、冬至が過ぎたが、このところ、小春日和が続いていた。それが、一昨日あたりから天候が崩れ、今朝は霙交じりの雨だった。昼過ぎに雪に変わり、太一がパソコンの電源を落とす頃には、綿を千切ったような雪片が夜空に舞っていた。十二月にこんな大雪は、東京では珍しい。  会社から駅までの道を、太一は革靴の足裏に神経を集中させながら歩いた。  東京は大雪になると、脆弱な街になった。人々は危うい足どりで歩道を歩き、軒下で傘に積もった雪を払い落とした。車道を行き交うクルマも殆どがタイ

          太一の決断

          サウナとヤンキーにいちゃん

           むかしの話をひとつします。  スーツを着て朝早くに出社し、夜遅くまで仕事をしていた、若いころの話。  当時のおれはクルマで通勤していて、会社帰りの運転中に日付が変わる事もめずらしくなかった。  おれの自宅はある私鉄沿線の急行が停まる駅に近く、その駅のロータリー付近にサウナが新規オープンした。  ある晩、運転中に日付が変わり、おれは自宅に戻る前にそのサウナで汗を流す気になった。駐車場には紫色のセリカが一台のみ。セリカは車高を落し、太いタイヤを履いている。  受付で料

          サウナとヤンキーにいちゃん

          和解

           えんじ色の椅子が整然と備え付けられた区民会館の端の席に、太一はめったに袖を通さない濃紺のスーツを着けて座っている。成人式らしく客席にはあでやかな色の和服を着付けた同世代の娘たちも目につく。館内禁煙とそこら方々に掲示してあるが、太一が座る椅子の座面には煙草の火が落ちてできたような穴があいていた。  壇上では正装した要人と思しき男が演説している。演説するのは壇上の一人だけではない。三人の壮年の男が、舞台の隅に並べられたパイプ椅子に座って各自が演説する順番を待っている。皆似たよう

          西域に消える

           その一行が消息を絶って、もう十年が経とうとしている。  彼らはシルクロードのオアシスの街で忽然とその姿を消した。一行を率いていたのは、私のかつての仕事仲間で、彼は日頃からいつ消えてもおかしくない雰囲気を漂わせていた。だから、私は彼が消えたと聞いても奇異な感じがしなかったし、むしろやはり消えたか、という思いの方が強かった。これから語るのは彼等が消えていった状況の、星の数ほどある仮説の一つであるが、私が最も支持するものである。  以下は彼の一人称で。  「あれが火焔山です」

          西域に消える

          #文字数約5,500 手錠とその因果

           いつもと変らぬ朝だった。私はそのつもりでいた。  毎朝目覚まし時計が鳴る数分前に目を覚ます。その直前まではたいてい夢のなかにいる。例えば犯罪を犯して迷宮に迷い込み、逃げ回ったあげく精根尽き果てて目覚めれた朝は、ベッドの周りの慣れ親しんだ空間に安堵する。カーテンの合わせ目から漏れる朝の光に照らされた壁際のテレビの画面。その表面に付着した埃。ベッドの脇に散乱する雑誌の表紙で微笑む少女。そういうものが悪夢から生還した私をしみじみとした心持ちにさせる。  しかしその朝、私は目覚める

          #文字数約5,500 手錠とその因果

          #掌編小説 亜熱帯チャイナタウンにて

           ことが終わってシャワーを浴びても、女たちは帰ろうとはしない。ベッドに戻り、片言の日本語で睦言を囁き、朝になればシャワールームまでついてきて、身体にボディソープを擦ってくれる。なかには朝食のテーブルにまで一緒に座ろうとする女もいる。彼女達はそうやって次の夜も部屋に来ようとするのである。  私の部屋にもよく女が来た。ルームサービスで好きなものをとらせ、冷蔵庫の飲物はなんでも飲んでよいと言う。ある女は、おそらく暗記しているに違いない身上話を語り、またある女は自分の兄と私が似てい

          #掌編小説 亜熱帯チャイナタウンにて