散歩の境界線
最近気になる女性がいる
初めてその女性を見かけたのは、いつだったか…
あれは、夏の初めだったかもしれない。
年齢は70歳後半〜80歳前半くらいであろうか。
いわゆるおばあさんだ。
車の行き交う道路脇の歩道に、彼女は佇んていた。
行き交う車を眺めているのかと、初めは思ったが違うようだ。
視線は遥か遠く、西の空の方を向いている。
時間は朝の8時。
朝の空を見るには、方角が違い、夕焼けにはまだまだうんと早い。
飛んでいる鳥もいなかった。
遠く山々…もない。
表情は遠くに旅立っていった子どもを思う母のようであったし、
魂が遠く遠くへ行ってしまっているようにも見えた。
(誰かの見送りだろうか?)
第1印象はそれで終わった。
次の日、また彼女はいた。
今日は先に彼女が前日と同じ位置にいた。
その日は車も混んでいたため、しばらく観察していた。
どこかに向かう途中で立ち止まっていただけなのか確認したかったのだ。
しかし動きがない。
ずっと佇んでいる。
(何をしているんだろう?)
疑問を感じた。
また次の日、今度は彼女は歩いていた。
連日佇んていた場所のだいぶ手前の道だ。
(これからあの場所に向かうのだろうか)
その日は私は自転車だったため、
「おはようございます」
挨拶をしてみた。なにかヒントが欲しかったのかもしれない。
返事はなかった。耳が遠いのだろうか。
そうして数日毎朝のように彼女を見かけた。
見かけるたび、彼女が気になった。
何がそんなに気になるのだろう。
通常であれば、朝の時間歩いている=散歩となると思うが、
彼女の表情が、まとっている空気が散歩のそれとは違った。
魂が遠いような、物々しいような違和感を感じるのだ。
気にし過ぎなのかもしれない。
気になりつつ、いつの間にか見かけることもなくなり、
そうして私は彼女のことも忘れていた。
そうして存在を忘れかけていた秋の日、
車で仕事場に向かっている時に、何やら見覚えのある姿を見かける。
彼女だ。
再会した(一方的にそう思っているだけだが)喜びを感じ、
また疑問が湧き上がる。
彼女は果たして散歩をしているのであろうか。否か。
(間違いなく散歩だろうとは思う)
そうしてまた現在も彼女の観察と考察をしているところである。
こんにちは。
くいたろうです。
最近気になる彼女について考えを巡らせつつ、
ふと別のところにも気になり始めました。
ただ歩いているだけなのに、散歩と思われる人と
そう思われない人の違いってなに?
自分の記憶を呼び覚まして、いろいろなシチュエーションで散歩の境界線(高齢者)をジャッジしてみることとする。
(ただの個人的な主観です。すみません)
御大層に表など作り、3パターンに色分けしてみた。
よくわからないと思うので、説明を
縦軸:行動
横軸:いる場所
交差したマス目の色
青→散歩と判断できる
黄色→散歩だと思うが少し気になる
赤→散歩なのかもしれないが、迷い人ではないかとかなり心配になる
次に最近気になっている彼女の特徴を当てはめてみる(赤枠で)
〈結果〉
散歩だと思うが少し気になる、
散歩なのかもしれないが、迷い人ではないかとかなり心配になる
が該当した。
ああそうか、だから気になっていたのかと腑に落ちる。
私は現在外来(入院ではなく通院の患者さんが来るところ)で働いている。
病棟(入院患者さんのいるところ)で働いていたときは、あまり感じなかった、
患者さんの生活を感じる機会が多くなった。
入院中は治療の中に生活があるが、
通院は生活の中に治療がある。
外来は1ヶ月か2ヶ月か…更にもっと長い期間に1度、時間で言えば
5分程度会話を交わせばいい方だろう。
入院患者と比べると、本当に短い時間の付き合いだと思う。
でも、期間が経てばたいていまた会うことができる。
それが10回、20回と回数を重ねれば
顔を覚え、以前こんな事があったと思い出もでき、
親しみを感じ、再会に喜びを感じるようになるのだ(患者さんからしたら、正直職員は皆同じユニフォームなのであやふやであろう)。
しかし、高齢者になれば認知症の方もいる。
外来に通院していた人でも、迷い人になりそのまま帰らず、残念ながら半年後に用水路で発見された人もいた。山の中で発見された人もいた。
自転車で40kmも遠くへ行ってしまっていた人もいた。
通院の合間の生活は、様子を聞くことはあっても、見ることはほぼない。
だから、どうしても同じくらいの年頃のやや気がかりを感じさせる彼女を見て、何か困った状況になっていないかと気になってしまったのかもしれない。
理由がわかり安心して、
今日もまた同じ場所で見かけるまだ知り合いでもない彼女の
健康と安全を心から願うのでした
めでたしめでたし