脳科学・認知科学から見たメタバース

Cluster #2 Advent Calendar 2024の19日を担当します(´・ω・`)

この1年、人間の意識とは何処から来るのか?とかそもそも意識とは?自己とは何か?とか考え続けてきた1年でした(暇人)

夏には脳波計とUnityを連動させてCCKを使ったゲームをした時に、集中力を高めることで必殺技が発動すると言うものを作ってみたりしました。その時の記事がコチラ

さて、そんなこんな脳科学や認知科学などの研究論文や専門書を夏から読み漁って浅っい知識がついてきました。ただし、趣味レベル基礎教養レベルですが。

カミトコの作者は元々は義手や義足の国家資格を持った医療職でして、とは言え長らく引退してメタバース作品を作り続けてはや5年

義手や義足を作るには、そのユーザーさんがいて、特に手や足の切断をすると幻肢や幻肢痛と呼ばれる症状が出てくることは知識としてはありましたが、割とユーザーさんと幻肢とかについて話す機会が無かったんですよね。そっちの分野は専門外と言うか良い義足を作るとかの方が意識が向いていたのと、相談されることもなく見逃してた現象でした。

ただ、割とこのメタバース、幻肢幻肢痛などから学んだ脳科学や認知科学と非常に親和性が高く、そこからちょっと考えたのが脳科学や認知科学から見たメタバースイベントでの安全のための取り組みと言うものです。

ただ、なんか考えてくのが面倒になったのでAIに文章を書かせてみました(´・ω・`)手抜き



脳科学や認知科学から見たメタバースイベントへの安全性への取り組み

脳科学から見たメタバース


近年、メタバースと呼ばれる仮想空間で、人々はコンサートや講演、ゲームイベントに参加し、実に多彩な交流を楽しむようになってきました。画面越しに存在する自分のアバターや、遠くの誰かが操るキャラクターたちと共に、私たちは新しい「場」を体験しています。しかし、その空間で時折目につくのが、過剰な接触や乱暴な行為など、リアルならば決して許されないような振る舞いです。「たかがゲームでしょ?」と片付けたくなる気持ちもわかりますが、実は脳科学や認知科学の視点から見ると、こうした行動は単純な「マナー違反」以上の意味を持ち、相手への深い影響を与えうるのです。

たとえば「幻肢」と呼ばれる現象があります。切断された手足がそこにないはずなのに、まるで実在するかのような感覚や痛みを感じるという不思議な体験です。V.S.ラマチャンドランをはじめとする研究者たちは、こうした幻肢や幻肢痛が、脳が視覚・触覚・運動などの多様な感覚情報を統合し、「自分の身体」という一体感を常に作り上げている証拠であると示しています。たとえ存在しないはずの手足でも、脳が「ある」と認識することで、痛みすら感じることができるほどに私たちの知覚は柔軟で繊細なのです。

この「身体を自分のものと感じる仕組み」は、メタバース空間でも形を変えて現れます。たとえばBotvinick & Cohen(1998)のラバーハンド実験では、ゴム製の偽の手に視覚と触覚刺激を同期させることで、被験者はその偽物の手を「自分の手」と錯覚してしまいました。さらにEhrsson(2007)やLenggenhagerら(2007)の研究からは、VR技術で第三者視点から自分を見ると、身体所有感が外部へと投射され、あたかも自分の分身がそこにいるような感覚が得られることもわかっています。

こうした研究からわかるのは、私たちの脳は「今そこにある」情報をていねいに組み合わせ、常に「自分」という感覚をアップデートしているということです。それは、幻肢のような極端な例だけでなく、メタバース内のアバターにも当てはまります。見えている映像、聞こえる音、さらに実際には触れていないのに、アバターを通じてコップを掴もうとしたり、仮想ボタンを押すといったインタラクションが繰り返されることで、脳は「この身体は自分の一部なんだ」と強く思い込むようになります。言い換えれば、仮想空間でも「ミニマルセルフ(minimal self)」と呼ばれるごく根本的な身体的自己感覚が育まれているのです(Gallagher, 2000; Metzinger, 2009)。

このように、私たちがいまメタバースで感じている「身体感覚」や「主体感」は、決していい加減な幻ではありません。脳は真剣に、そこに自分がいる世界を組み立てているのです。ですから、たとえ相手が単なるアバターだと思っても、そのアバターをむやみに攻撃したり、不快な行為をしかければ、その向こうにいる相手の脳内で形成されつつある「身体的な自分」を傷つけることになりかねません。

もちろん、まだメタバースは発展途上です。でも、すでに私たちはインタラクションを通じて主体感・所有感を高められる仕掛けに取り囲まれ、そこへ溶け込む段階に来ています。つまり、もうこれは遠い未来の話ではなく、いまこの瞬間、誰かがVRヘッドセットを装着し、コントローラーを握ってメタバース空間をさまよい始めるときに起きている現実なのです。

そんな場で、他人を尊重し、相手に不快な思いをさせないよう心がけることは、単なるマナーにとどまりません。脳科学や認知科学で示唆されるこの脆く、精妙な「自己感覚」をお互い大切にすること。それが、メタバースをより豊かな人間の交流空間に育てていく鍵なのです。
一歩踏みとどまって、「向こう側にいる人」が何を感じているか、想像してみてください。たとえ仮想空間であっても、そこには私たちの脳が生み出す、もう一つの「生きられた身体」があるのです。その事実を胸におけば、きっとメタバースでの振る舞いに対して、もう少しだけ思いやりをはぐくむことができるのではないでしょうか。

では、脳科学や認知科学の視点から考えると、私たちはメタバースでどのような行動を心がければよいのでしょうか?

ここで大切になるのは、「仮想空間であっても、相手の脳は確かに『そこに』いる」という理解です。高校生でも社会人でも、ゲームや新しい技術が得意な人も苦手な人も、誰しもが自分の脳を使ってこの世界を体験しています。その脳は、リアルな身体と仮想的な身体を区別する際に必ずしも厳密ではありません。むしろ、「そこにあるもの」を積極的に取り込み、なるべく安定した「自分」を作り上げようとするのです。

このことを前提にすると、「ただ単に礼儀として控えましょう」という以上の説得力を持って、「過剰な接触や暴力的な行為は控えたほうが良い」と言えます。なぜなら、こうした行為は相手の脳がせっかく築き上げている「自分の身体」や「自分の存在」という感覚そのものを乱し、脳内世界に余計な負荷をかけてしまうからです。それは、現実で誰かの身体を不意に押し倒したり、頭上で突然大声を上げたりして恐怖や動揺を引き起こすことに近いものがあります。

私たちができることは、相手がその空間で落ち着いて「自分」を感じ取れるよう、脳が負担なく情報を統合できる状況を保ってあげることです。そのための具体的な工夫としては:

1. 物理的距離に近い「心理的な間合い」を意識する
メタバースではアバター同士の接触は物理的な痛みを伴いませんが、相手の脳は視覚的・聴覚的な情報を手がかりに「これが自分に近づいてくる」と判断します。相手が心地よく「ここにいる」と思える距離感を保ちましょう。これは「相手に配慮してあげて」ではなく、「脳が世界を安定させる空間的な余裕」を作り出す行為なのです。

2. 予測可能な動きを心がける
脳は「次に何が起こるか」を推測し、その予想が大きく裏切られると混乱や不安が生じます。予測しやすい、ゆるやかな動きで接近したり、声をかけたりすることで、相手の脳内モデルがスムーズに情報を処理できます。これは「思いやり」というより、「脳が認知負荷を減らしやすい環境」を作る視点とも言えます。

3. インタラクションデザインに沿った振る舞い
メタバース内には、ただ眺めるだけでなく、物をつかんだり、仕掛けを作動させたりする「インタラクション」があります。こうした操作は、脳が「あ、ここで自分は行為者なんだ」と納得し、自分の存在感を深める手がかりになるのです。相手がこうした仕掛けを通じて主体感や所有感を確立していると理解しておけば、むやみにその行為を妨害したり、過度な干渉をすることは「脳が作り上げる安定した自己感覚」への阻害行為だとわかるでしょう。

4. 相手の反応やしぐさに注意を向ける
脳が自分の身体を所有する感覚は、一方的なものではありません。相手もまた、自分のアバターを通じてコミュニケーションを試みています。言葉はもちろん、アバターの微妙な動きや、聴覚的・視覚的なサインに耳を澄ましてみましょう。それは「礼儀」というよりも、「相手の脳がどんな世界を組み立てているか」を手がかりとして読み取る行為です。そうすれば、あなたの行動が相手の脳内世界をどんなふうに変えているのか、より繊細に感じられるようになるはずです。

これらは、必ずしも「優しくしましょう」とか「相手の気持ちになろう」という道徳的なメッセージだけではありません。もっと踏み込んで、「相手の脳が世界をどう作っているか」に注目することで、なぜ穏やかで秩序だった行動が推奨されるのかを科学的な観点で理解できます。その結果として、自然と礼儀正しさや思いやりが生まれてくるでしょう。それは、「マナー」という言葉よりも、もう少し深いレベルで、人が仮想空間に「存在」する仕組みを理解し、そのうえでより円滑で安心なコミュニケーションを実現する道なのです。


ワールド制作としての活用

メタバースのワールドを設計するとき、多くの人が思い浮かべるのは「見た目の美しさ」や「ギミックの面白さ」でしょう。もちろん、そういった要素は大切です。けれど、脳科学や認知科学に目を向けると、そこには世界の「感じられ方」そのものを豊かにするヒントが隠れています。私たちの脳は、視覚や聴覚、そしてわずかな手がかりを総合しながら、「ここに自分がいる」という主体感や、「この手や足は自分のものだ」という所有感を紡ぎ出します。その脳の仕組みを上手に活用できれば、ワールドの利用者はより自然に、より深く、その空間に没入できるでしょう。

たとえば、あなたが作るメタバースの空間で、ユーザーはヘッドマウントディスプレイとコントローラーを使って移動し、物をつかんだり、指し示したりしますよね。ここで注目したいのは、ユーザーが「自分の動きが画面上のアバターにぴたりと反映されている」と感じることそのものが、主体感や所有感を高めるという点です。研究でも、視覚と動作が同期すると、たとえゴム製の偽の手であっても「自分の手のように感じられる」ことが示されています(ラバーハンド実験)。この原理を踏まえ、現状の技術でもできる工夫を考えてみましょう。

1. 視覚と操作の即時同期
コントローラーや手のトラッキング機能を活用して、ユーザーが腕や手を動かした瞬間に、アバターが同じ動きを正確に再現する仕組みはすでに一般的に導入されています。これをより丁寧に調整するだけでも、所有感はぐっと強まります。小さなズレや遅延を最小限にし、「自分の身体として自然に動いている」感覚を高めることで、ユーザーはそのワールドに自分が「しっかり存在している」と思いやすくなります。具体的には同期などを工夫し、出来るだけ体験させたい対象に同期ズレが起きないような工夫も大事です。

2. 環境と行為の一貫性
ユーザーが物を掴む、投げる、押すといった行為を行ったとき、視覚的・聴覚的なフィードバックをわかりやすく返してあげましょう。たとえば、ある物体に手を近づけると、その物体がわずかに揺れる、または光の反射が変わるといった反応を示すようなデザインはどうでしょう。難しい技術は必要ありません。しっかりとした触覚フィードバックは現状まだ限定的ですが、見た目や音の変化は多くのプラットフォームで十分可能です。こうした細かな変化がユーザーの脳に「ここでの行為は世界に意味を持っている」というシグナルを送り、主体感を支えます。

3. 予測しやすい挙動と操作感
脳は常に「次に何が起きるか」を予測しています。ワールドの要素が過剰に予測不能だと、ユーザーは不安や混乱を感じ、没入しづらくなります。逆に言えば、ユーザーがボタンを押せば期待通りにドアが開く、手を伸ばせばその通りにオブジェクトが近づく、というわかりやすい因果関係を保つことで、脳は「この世界は私が操作できる場所だ」と安心します。特別な技術開発は不要で、既存のプラットフォーム上で適正なコリジョン判定やオブジェクト挙動をしっかり設計すれば、この「予測可能性」を生み出すことができます。

4. 空間音響で存在感を補強
視覚にばかり注目しがちですが、現在のメタバースプラットフォームの多くは位置情報に基づくサウンド出力が可能です。音の方向や距離感が明確になると、脳は空間をより立体的に捉え、まるでそこに本当に立っているかのように感じます。音の強弱や定位を工夫し、足音やオブジェクトのぶつかり合う音、遠くで響く環境音を丁寧に設定するだけで、立体的な世界の中に「自分がいる」ことを認識しやすくなります。

このような工夫は、「やりすぎない」ことも大切です。あまりにも過剰な演出や刺激を入れすぎると、脳は逆に混乱し、疲れてしまう可能性があります。あくまで自然な一体感を醸し出す程度を心がけるのがポイントです。

こうしたアイディアは、特別な最新技術を必要としません。現在流通しているヘッドセットやコントローラー、VRプラットフォームの基本的な機能をフルに活かし、知覚情報の同期や、予測しやすいインタラクション、そして適度な環境音デザインを組み合わせるだけで、ユーザーは「ここに自分がいる」という感覚をより鮮明に味わえます。それは、単に見た目が美しいだけの世界では得られない、脳が納得する「リアリティ」を演出し、自然に没入感を高めてくれるでしょう。


…と言うことだそうです(´・ω・`)←
でもね、わりと自分自身あんま倫理観とか一般常識が無いので、こう言う視点でアカンよね!って言うアプローチも大切と思うんですよ。

そしてこうした『人間の仕組み』に基づいた基準や作法はグローバル(死語)に国境を超えて様々な人との交流には初な考え方だと思うし、今後も必要な視点だと思います。

最後に、カミトコ祭りなどでイベントを守って頂いている警備の方々に深い感謝を込めて⛩️

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