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私が目指す教師像

私が目指すのは、生徒の人間性を育む教師である。学びのあり方は昨今急速に変容し、学校に通わなくても学ぶことは物理的に可能になっているが、それでも学校に通い、教室で仲間と共に学ぶ意義は何だろうか。学校を学校たらしめるのは、勉学とも通じる人間性の育成である。あの時この場所で目標に向けて何かを頑張ったという形跡は、確実にのちの人生を豊かにする。十代の貴重な時間の大半を過ごす学舎での思い出は支えになるし、お守りになるし、居場所になる。そうした日常の中で生徒たちを見守り、適切な方向に導くことこそが教師の大切な役目である。
教科担任制では担任を受け持つクラス以外の生徒まで把握するのが大変そうだと思っていたが、これまでに出会った先生方は限られた授業時間の中でも、一人ひとりと真摯に向き合い、何より教師自身が各教科の魅力が伝わるように教えてくださったのが印象に残っている。そうした教師の姿勢に、自ずと生徒はテストに出る知識以上に、将来的に目指すべき大人を想像したりと、沢山のことを吸収する。
また生徒にとって教師は、家族の次に長い時間を過ごす大人の存在であり、安心して信頼できる人でなければならない。思春期真っ只中にある生徒たちの様々な不安や悩み事を気軽に相談しやすい環境づくりや、率先して生徒の様子を観察し、そのような変化に気づけるような心構えでいる必要があると考える。
知的好奇心も教師が導き出す人となりの一つである。私の実体験になるが、学生時代は周囲の人の温かさに包まれて過ごし、特に教師に恵まれていた。先生方が意欲的にしてくださる授業をよく聞き、それに応じて学習するのは大変やり甲斐があり、楽しく取り組めていたのを思い出す。教師の工夫次第で生徒が主体的に授業に参加してくれるのは間違いない。生徒の知的好奇心を引き出すための鍵は教師が握っている。
さて、中高時代に得た概念のひとつに「祈り」がある。生きていれば幾多訪れる大変な局面で、祈るということを知っていてよかったと思うことが卒業後もあった。教師や他の生徒とともに心を研ぎ澄まし、静寂の中で祈りを捧げる時間は何物にも代え難く、象徴的な思い出となっている。普段の生活では、意識しなければ自分の心と真正面から向き合う機会はさほど多くない。たとえミッション系の学校でなくても、多感な時期を過ごす生徒自身が内面の変化を成長と捉え、人間性を成熟させる手伝いができればと思う。
最後に、現時点で私は音楽教師を志しているが、主要科目から外れる音楽はともすれば不用論が囁かれていそうだが、音楽大学で学ぶ今、音楽をアカデミックに捉えると奥が深い学問だということを痛感する。何気なく聴いている音楽も一定の秩序に沿って生成されていることを知れば、新たに世界が広がるだろう。そのような視点を授け、どんな科目にも共通する知的好奇心を刺激する音楽教師を目指したいと考える。

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