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ぼくが体験した、何かから「逃げる」ことについて、または「切り替え」の正体とは。

ひいらぎです。書くことは自分を救うのではと最近おもったからいっぱいnote更新してくよ。

15分で文章チャレンジをしたからクオリティは低めです。大事な本論にたどり着くまでに時間がかかり、いい感じにまとめられなかったのが残念。現状、15分で書ける文章がこの程度なんだなあとわかったのでより早く質の良い文を書けるようになりたいな。

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切り替えの正体とは
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いきなり結論からいこう。それは逃げることであり、考えないこと。どういうことか、1つずつ僕の考えを述べる。

逃げることと考えないことは似通っている。何かから逃げればもうそれについて考えなくて良い、つまり苦悩しなくて良いから。「考える」のリソースを偏らせる、あるいは整理することにも近い。例として、ぼくがきょう体験したすごい事例をあげよう。

 勉強に煮詰まったぼくは散歩をしようと思った。服を着替えて、鏡の前に立つ。組み合わせが気に入らなかったのか、別の上着も試してみた。そのうちに何か楽しくなってきて服を着てここ最近していなかったいわゆる「オシャレ」を少しの時間たのしんだ。そうして部屋に戻り、改めて散歩に行こうとしたその時にぼくは思った、散歩しなくていっかと。着替えに費やした時間はわずか2-3分で、その一瞬だけで散歩に行く気が失せてしまったのだ。これは一体どういうことか。

ぼくは「散歩をすること」が目的ではなく、「勉強から離れること」が目的だった。自分でもびっくりした。切り替えをしようと思って自分が取った選択は勉強から逃げるための選択であり、切り替えの本質を満たしていなかった。

きっと何も考えないでいることを求めていたんだなーってことを発見したお話でした。眠いからクオリティはだだ下がりだけどとりあえず書くことが大事だ!

みんな、いい夢見ろよ。おやすみ。


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Hiragi
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