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「考える」とは、そしてそのコミュニケーションとの繋がりとはなにか

Twitter 柊@hiragi_sand

「考えるとは何か」この問いについて考えようと思ったのは『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(山田ズーニー)という本を読んだことがきっかけだ。

(あとyさん(画像は相対性理論の人)にnoteを出す速さで負けたので悔しかった)


ぼくは学生という立場上、勉強をしていれば考えることは必須であり、その行為について改めて「考える」必要はないように思える。なによりそんなことを考えていたら受験勉強が進まないからだ!

とは言ってもこの社会は先人の「考える」行為によって形作られてきたものであり、それを読み解くということは大変に楽しい。コストもほとんどかからない最強の遊びである。

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考えるとは問いを立てること
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いきなり結論を言ってしまったが、考えることは問いを立てることだ。学校の授業でも何でも物事を考えていなければ質問は出てこない。

質問をすることは考えることにであり、逆説的に言うと、質問をしていれば自ずと「考える」に近づいていく。

本書は文章作成術の名書として名高い本(?)であるが、その所以は本書に登場する文章作成に当たっての考え方がそれのみに留まらないことだと思う。詳しくは購入して自分で読み進めることをおすすめする。

この本、まじでおもしろい。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0081BBF4K/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_.ur-EbJG3TPBH

↑URL

ここまでは本にかかれてあることだ。

重要なのはこれを読んで感じたこと、つまり意見を発信すること(習ったやつ!)。

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コミュニケーションが苦手な人
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僕たち人間の中にはコミュニケーションがあまり得意ではないという人が結構いる。その理由は人それぞれ、挙げようと思えばキリがない。
しかしその一因として論点のずれ、ひいては自己中心性が根本にあるのではないだろうか?

自己中心的な話(共通性のない話題)

話のすれ違い(興味対象が自分にしか向かない)

ぼくはこんな感じで話が噛み合わない時の会話が苦痛だ。なんせ相手は自分のことしか喋ってない上に面白くないから。たぶんみんなも似たような経験があると思う。

ぼくの友達にも永遠に喋り続けているのがいるが、基本的に自分のことしか喋らないのであまり興味を持たれない。僕もふとするとこれを忘れて自分のことばかり喋ってしまう。

では、なぜ自己中心性が論点のずれに繋がるのか。これは会話のベクトルに答えがあると思う。

自分⇆相手 
←自分 相手→

自分と相手の間に論点があるとする、上の場合は論点を介して会話が成立しているから、互いに気持ちよく会話ができそうだ。下の場合は論点を介さない会話が行われているためなんの話をしているのかわからない。これは気持ち悪い会話だ。

論点を会話の中で見つけられない人は「考える」作業を通してそれが直感となるまで練習するのがベストなんだと思う。それは会話の中で自然に身につくものではあるが、苦手な人(ぼくもそうかもしれない)は練習が必要だ。

この場合、「考える」は「相手の興味関心はどこにあるのか」を探す作業になる。「考える」の実態は作業なのだ。
(そうこれ、最近やっと身をもって気づいたけど「考える」は問いを立てる作業の繰り返しなんだよな。伊予柑さんすげー)

相手の興味関心を見つけることができればあとはそれに合わせて自分の領域を展開していけばいいだけだし、実際のところ話題なんてものはコミュニケーションにおいてさして重要でないことがわかる。

と、こんな風に文章を書く実践練習をしてみました。まだまだズーニー先生には怒られそうな拙い文章だけど息をするように文章を生み出していこうと思います。




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Hiragi
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