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『~であるべき』をやめたら、『あるべき姿』が見えてきた。
『~であるべき』をやめたら、本来、あるべき姿が見えてきました。
良いお母さんであるべき。良い妻であるべき。
仕事ができるべき。経済的に自立するべき。好きなことをするべき。
すべてに感謝すべき。不平不満を言わないべき。
ポジティブに生きるべき。ワクワクすることをすべき。
私が自分に課していた『~べき』の枠です。
この枠から外れると、霧雨のように気づかないうちに罪悪感という雨で私の心はびしょびしょ。
これは親からの影響だと思うのです。
でも今更、親のせいにするつもりはないのですよ。
もういい大人ですから。
いいえ、もう、いいおばちゃんですから。
これを自分だけに課しているときは、まだ、支障がなかったのですが、娘にも『~べき』を課している最近の私。
親子三代にわたって、『~べき教』の教えを守ることになるところでした。(危ない、危ない)
この教理を抜け出すためには、まず、『~してもいい』と考えを変えていくことにしました。
悪いことを感じてもいい。
良いお母さんじゃなくてもいい。できないことがあってもいい。ネガティブに感じてもいい。感謝できなくてもいい。不平不満を言ってもいい。ワクワクしていなくてもいい。
そう声に出していってみたら、空を飛べるぐらいに心がすっと軽くなったのです。
(ただし誰かが聞いて不愉快になる言葉は、自分の心の中だけにとどめておくように注意。)
『~べき』の枠がなくなっても、生きていられる。
むしろ自由に生きられるのです。
本来のあるべき自分の姿が見えてきます。
無理なく、心地よく、前に進めます。
人に合わせるのではなく、自分の心に合わせると、霧が晴れるように
本来あるべき姿が見えてきます。
自分が自分の枠を外すと、娘に対しても枠が外れていきます。
(もちろん、犯罪や迷惑行為はダメです)
ガミガミうるさいお母さんにならないでいられます。
自分に枠を作ると、年を重ねるにつれ苦しくなっていきます。
そんな人生を娘には送ってほしくありません。
今日、韓国は雨でした。
朝、珈琲を飲みたいから飲んで、エアロビしたいからyou-tubeを見ながらエアロビして、昨日買ったバゲットを食べたいから食べて、掃除はしたくないけれど、したら気持ちがスッキリするからしました。
したくないことも、したら自分のためになるという思いが強ければやります。
やると、気持ちが悪いこと、後悔することはしないようにします。
自分の心によく聴いてみます。
また、直感をもっと大切にします。
『~であるべき』から『~したい』の生活に、シフトチェンジ中です。