跳び箱が飛べないだけで。
体育の時間がやってきた。一番苦痛な40分間だ。
あの6段の跳び箱がどうしても、どうやっても飛べない。
飛べなければ、居残りだ。体の大きい男の先生が、『飛べるまで、帰さないぞ』と、顔を赤くしながら叫んで授業は終わった。
放課後は、バレー部の横で練習した。友達が教えてくれた。ぼくは友達に恵まれている。跳び箱が飛べなくても冷やかされない。励ましてくれる。
けれど、最後まで6段は飛べなかった。
努力してないからと、思うかもしれないけれど、努力したんだよ。心の中で『できるできる』と、イメージトレーニングもしたんだよ。
昨日の練習の結果、できなかったので、もう頭の中はできない、できない、で、いっぱいになってしまって。
案の定、飛べなかった。ぼくだけ。
きっと、悪い方向に考えてしまう癖がついているのが良くないんだ。
放課後は大きな先生がじっと見ている。
ぼくは猫ににらまれたネズミのように、縮こまってしまって、できないものが余計にできなくなった。暗くなるまでやったけど、今までで、一番飛べなかった。
きっと、とても緊張してしまうのが良くないんだ。
先生は、『6段の跳び箱も飛べないでどうするんだ!』と、言って出て行った。
ぼくの心はズタズタだった。ぼくのすべてが否定されたようで、悲しくなった。
跳び箱が飛べなかっただけなのに。
きっと、自分を責めてしまうのが良くないんだ。
今は、跳び箱と全く関係ない、仕事をしている。
跳び箱を飛べなくても、どうにかなった。
自分を否定された傷がはがされて血が出る時もあった。自分でわざとはがした時もあった。
けれど、今はこの傷が愛おしい。この傷のおかげで、自分の得意なものが分かった。不得意なものが分かった。できない人の痛みが悔しさが分かった。
もしぼくに子供ができたら、こう言ってあげよう。
『苦手なものがあっても大丈夫。できないものがあっても大丈夫。
好きなこと、得意なものが一つでもあれば、大丈夫。』