谷中から(ほぼひとりごと(2021年10月12日(火)))
(写真は、菩提寺に向かう通りから入ったところにある初音小路と横にある街中華。谷中らしい風景です)
ご先祖さまは、江戸幕府の瓦解後、静岡に転居し、東京となった江戸に戻ったのは1890(明治22)年ころだったようです。江戸時代に住んでいた家は接収されてなくなり、結構な苦労をしたという話を聞きました。
谷中の墓地のまわりにあるお寺にあるお墓だけが残りました。いわゆるお墓の一坪(畳半畳)より少しばかり広く、鉄柵まで付いています。戦争中の金属供出の際、しっかりし過ぎて抜けなかったそうです。
墓石そのものは100年ほど前に建てられたものです。そのころ、流行った石を贅沢に使っているとのことですが、石の表面が弱く、ミルフィーユのように削られる危険があると石屋さんに教わりました。
谷中の街にはお寺がたくさんあります。江戸幕府はお寺が集まる地域を作ったということで、お寺の多い場所があちこちにあります。お寺には住民登録機能もあったので、今とは役割が違っていました。
旗本の妻女や、江戸城の女中の間では、若い僧侶が人気だったようで、お寺参りと称したレジャーだったという話を聞いたことがあります。確かに若い僧侶をめぐった艶っぽい歌舞伎の演目もあったはずです。
墓地やお寺があったこともあり、谷中のあたりには、何気なく、昭和どころか、江戸時代が残っているようですが、石屋さんの前のお寺の若い住職が樹木葬を宣伝するなど、少しづつ変化はあるようです。
谷中の墓地の最寄りの日暮里駅近くには夕焼けだんだん、谷根千など、観光スポット、入ってみたくなる初音小路や町中華など、楽しい場所やお店が並んでいます。上野や浅草も谷中から遠くありません。
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