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旧サイト アトリエTAKUYA の記録①

旧サイトの情報をとのご要望にお応えしてこのマガジンに少しずつ掲載してまいります


≪2011年8月掲載≫

ごあいさつ

ようこそアトリエTAYKUYAの公式サイトへアトリエTAKUYA「水上卓哉」による、様々な作品や活動をお知らせしています。
東北地方太平洋沖地震・津波の被害にあわれた皆様へ

昨年、大学のスクーリングで初めて岩手県を訪れました。美しい自然と、暖かい人々との触れ合いは私にとって素晴らしい経験となりました。

このたびの震災の模様をテレビで見るたび心が締め付けられ、本当に悲しい気持ちになりました。私に今できることはほんの小さなことかもしれません。でも、私の心は、いつも皆さんとともにあります。今は、悲しく苦しいことがたくさんあるかもしれませんが、皆さんが笑顔を取り戻せる様、私も一生懸命応援いたします。

そして、一日も早い復興を心からお祈りいたします。

水上卓哉



プロフィール
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プロフィール
あゆみ【略歴】
あゆみ【入院編】
母の記録よりあゆみ【リハビリ編】
あゆみ【天国の特別な子供】/エドナ・マシミラ




プロフィール

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水上 卓哉
TAKUYA MIZUKAMI

アトリエ
〒452-0943 
愛知県清須市新清洲2-2-2 ARTE 新清洲1 階 Galeria 卓


連絡先
〒452-0803
愛知県名古屋市西区大野木4-534-1
Tel: 052-502-2997
HP: http://www.atelier-takuya.com
✉info@atelier-takuya.com

詳細


1990年 名古屋市西区生まれ

2003年 交通事故により1ヶ月半の意識不明の時期から徐々に回復するも、身体障害、言語障害、高次脳機能障害がのこる。名古屋市立山田東中学校、名古屋福祉専門学校高等過程を、両親やサポートの方の力を借りて卒業。5歳より谷口泉先生(Aアート・アカデミー)、高3より米山郁生先生(青焔美術研究所)に師事。名古屋少年少女合唱団が贈るクリスマスコンサートチラシ原画担当(2010年~)

2015年 京都造形芸術大学通信教育部洋画コース卒業
2017年 京都造形芸術大学大学院芸術研究科(通信教育)芸術環境専攻(修士課程)美術・工芸領域修了

【個展】
2010年 初個展『はじめの一歩』(名古屋銀行小田井支店)
2011年 『ひと筆の祈り』(銀座大黒屋ギャラリー) 
2012年 『ONENESS ~ひとつのいのち~』(名古屋銀行小田井支店)
2014年 『楽しんで生きてる?』(ギャラリー東別院)、
​2014年  名古屋市人権週間記念企画展水上卓哉作品展『200年後の対話』(なごや人権啓発センターソレイユプラザなごや) ほか 

  
【趣味】野球観戦、将棋、歌うこと
【受賞歴】2002・2005年 名古屋城写生大会 「名古屋城景勝保存協会長賞」, 2007・2008年 西区民展 「奨励賞」,2009年 名古屋市障害者作品展示会 「中日賞」,2010年 第37回中部現展 「新人賞」,2011年 第67回全国公募 現展 初入選 ,2012年・2013年 中部現展「奨励賞」,2014年・2015年 平成26年度あいちアール・ブリュット展「優秀賞」,2015年 第71回現展名古屋移動展「東海テレビ放送賞」、Big-iアートプロジェクト入賞,2016年 第72回現展名古屋移動展 「中日新聞社賞」、シェル美術賞2016、2018入選  FACE2019入選、第229回ル・サロン入選 など  

現代美術家協会 会員



あゆみ【略歴】

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1990年 4月11日 名古屋市西区に3人兄弟の長男として生まれる。
4歳   母よりピアノの手ほどきを受ける
5歳   谷口泉先生主宰 Aアートアカデミー入塾
7歳   名古屋市立大野木小学校入学
8歳   名古屋城景勝保存協会写生大会「名古屋市議長賞」受賞
10歳   音楽部で和太鼓を演奏
11歳  名古屋少年少女合唱団入団(48期生)
      名古屋市科学館サイエンスクラブ会員
       世界青少年交流協会主催「第1回ジュニアサイエンスクルーズ」参加
12歳  名古屋城景勝保存協会写生大会「協会長賞」受賞(1回目)
      名古屋市『冬の生活』表紙絵コンクール 入選
       西区ジュニアリーダー「つばさ」にてボランティア活動

《2003年 3月15日~交通事故により受傷~》
1か月半の意識不明の時期から奇跡的に一命は取り留めるが、頭部外傷後遺症により左片麻痺、体幹機能、右失調による震え、言語障害、高次脳機能障害が残る

>>入院編へ

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13歳  愛知医大附属病院 緊急入院―5か月
      名古屋市総合リハビリテーションセンター 転院-2か月
      青い鳥医療センター 転院―2か月。
      名古屋養護学校中等部に転籍→通院リハビリに切り替え
14歳  中学2年4月より名古屋市立山田東中学校普通学級に復学。
      「名古屋市介助アシスタント制度」を利用して親子通学
      部活:合唱部
      職業体験の授業で陶芸家の加藤祥寿先生1日弟子入り
15歳  西区サマーボランティアスクール=特別養護老人ホーム「庄内の里」にて活動
16歳  名古屋福祉専門学校 高等課程入学
      美術の授業で彫刻家 大路宗規先生と出会う
      部活:美術部、華道部
17歳  障害者野球チーム「名古屋ビクトリー」参加
      大曽根美術研究所にて受験対策のデッサンを学ぶ。柴田由紀先生に師事
      青焔美術研究所にて米山郁生先生に師事
19歳  京都造形芸術大学 通信教育部 洋画コース入学。現在在学中。
20歳  初の個展「はじめの一歩」開催
      第37回中部現展 新人賞 『室津 夕映え』 
21歳  全国公募 第67回現展 初入選『天使の歌声』
      オフィシャルHP 開設
     個展『ひと筆の祈り』開催:銀座大黒屋ギャラリーにて

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あゆみ【入院編】母の記録より
私たち家族は、事故当時同じように脳に傷を負ってしまった方々や、ご家族が発信した情報にどんなに勇気づけられたかわかりません。私たち家族の取り組みが、苦しい思いをしている皆さんのお役にたてたらと思います。


2003年3月15日(0日)脳低体温療法
卓哉は、妹と二人で塾からの帰り道、横断歩道を自転車で渡っているとき、スピード違反の車にはねられてしまいました。私は仕事場のレッスン室に取り次がれた電話で卓哉の事故を知りました。
「またあ。卓哉がそんなことになるはずがない。何かの間違い。きっと帰ったら『けがしちゃった・・・』などと卓哉は笑っているに決まっている。」そんなことを思いながら車を走らせました。

病院につくと、卓哉は救命救急センターの中でした。看護師さんが「ご両親はまだなの!?」と叫ぶ声が廊下に聞こえました。「落ち着いて!いい? 落ち着いて聞いてください。」と何度もおっしゃいました。「頭を強く打っているので意識はありません。瞳孔が開きかかっているのでかなり危険な状態です。今全身を調べていますので医師の説明があるまでお待ちください。」というようなことを言われたと記憶しています。

医師からの説明は、それから何分後だったか。「頭蓋骨骨折、脳挫傷、くも膜下出血、硬膜外・硬膜下血腫、びまん性軸索損傷、鎖骨・肋骨骨折、肺挫傷…。現在は、人工呼吸器をつけています。頭の中の出血がこのまま増えれば、開頭手術をしなければならないが、まずは 低温療法にして脳を眠らせた状態にし、脳圧が上がらないようにします。」とのこと。「助かるかどうかは大変危険な状態。脳幹部の傷がどのように作用するかわからないが、目覚めないこともあります。」と言われました。
私の頭の中で何が起こっているのか信じることができず、強い吐き気を覚えてうずくまりました。主人は母と泣き崩れました。ICUへ

3月16日(1日)
am3:00の出血はほぼ止まる。まずは脳の腫れを抑え、脳細胞は大丈夫そうなので、それを橋渡ししている器官が壊れてしまっている。しかしそれは再生するのでまだ望みはある。お医者さんもそれにかけているという。pm2:30-脳の腫れはおさえられている状態で良好。体温は35度くらいに管理

3月17日(2日)
復温・・体温を元に戻す
音楽運動療法のチームが脳波を図る・・パソコンとつながってすごい配線。好きな音楽など耳からの刺激が良いと言われ、MDウォークマンをそばにおいてもらいました。

3月18日(3日)
CT4回目。一日かけて麻酔薬を抜く。脳圧が上がらなければ頭に埋め込まれた脳内モニターを外すとのこと。

3月19日(4日)
校長先生、担任の先生、交通指導員さんが来院。ICU内にて卒業式。卓哉の手に卒業証書を触らせ、いただいたスイートピーのポラロイド写真とともに枕元に置きました。花言葉・・・「卒業」

3月20日(5日)
人工呼吸器を外す・・自発呼吸に酸素を足す。
足をさするとよいと言われ、足の裏をマッサージ。私の声に反応するように口を動かしたり手を動かしたりするように見える。Pm6:00面会時、もっとよくなっているのでは?と思い行ってみると、また熱が高い。氷を抱いて冷やす。けいれん発作をしているように手足が震え、よだれに血が混じっていて痛々しい。痰が多く心配。

3月21日(6日)
血圧・脳圧共に変動が激しい。38度以上の高熱。(冷やす)痰の量多し。今日から流動食を胃に直接入れる。380net の純生君の闘病日記に勇気付けられる

3月23日(8日)
今まで『ナシ』だったまつ毛反射が「鈍」になった。

3月24日(9日)
頭の中の脳圧モニターを外せた。

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3月25日(10日)
やっとICUからHCUへ・・卓哉おめでとう
ずっと付き添うことができるようになる。話しかけなどの良い刺激が必要。教授回診の時初めて目をあく。 夕方、高血圧の薬終了

3月28日(13日)
リハビリ開始 ・・関節が固まらないように動かしてもらう

3月30日(15日)
発作のような硬直ではあるが、両目を開く

3月31日(16日)
去痰のペースは30分に1度くらい。痰がたまって苦しくなると目をあく。あごの骨折が見つかる。
ルフィのMDに表情が明るくなったように見える。

4月2日(18日)
手術。あごの固定手術、気管切開

4月5日(21日)
『水上卓哉くーん』と声をかけると右手を動かす。

4月11日(27日)
追加の酸素量をゼロに。“13歳のお誕生日おめでとう”

4月14日(30日)
『お母さんを見て』と言ったら首を回して私を見て目を合わせることができた。

4月17日(33日)
今まで入っていた手足の力が入らない。便は浣腸しないと出ない。車いすの使用を許可・・意識レベル向上につながるとよい。

4月21日(37日)
一般病棟に。 リハビリは眠くて訓練にならない

4月29日(45日)
名古屋少年少女合唱団の男子15名ほど。1階の芝生まで車いすで降り、アカペラで5~6曲歌ってくれた。

4月30日(46日)
リハビリにて初めて先生の指示にこたえる。・・「オレンジの風船に触ろう」というと届かないながらも手を伸ばす。
一応この日を意識の戻った日とする

5月5日(51日)
音楽運動療法1回目。初めて立たせてもらった

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5月7日(53日)
あごの固定のワイヤーをはずす。

5月12日(58日)
おしっこ?と聞くと「○・・マルのサイン(おしっこがでた)」と教える。言語療法が加わる。
写真カードを見せて「この写真はどっち?」をした。「カメラ」も「電話」もわからなかった。
経管栄養中に鼻のチューブを引き抜こうとする。危ない、栄養中はしっかり見ていないと・・。

5月15日(61日)
歯科「開口訓練」体をよじって痛がったが、よくがんばった。

5月18日(64日)
初めて尿器を使うことができる。

5月19日(65日)
経口にてゼリーやプリンが食べられるようになる。初めて笑う。

5月24日(70日)
音楽運動療法2回目。首のカラーをはずす。

5月27日(73日)
刻み食 + 軟飯
[リハビリ]足の訓練、座る練習 [言語]手話サイン、スプーン練習

6月3日(80日)
気管のカニュレを変えても息漏れのような音しか出ない。「お・う・ち・か・え・る」ばかり口でサインを出すが、呼気と合わない

6月9日(86日)
抜管…気管からチューブを抜くことができた。のどの穴をふさぐ

6月13日(90日)
左足が初めて上がる

6月14日(91日)
初めての外泊・・・事故後初めて自宅にもどる

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~愛知医大病院脳外科病棟にて~

8月8日(146日)
転院…名古屋市総合リハビリテーションセンターに

>>リハビリ編へ


2003年8月~10月(受傷後5~7か月)
名古屋市総合リハビリテーションセンターは基本的に成人を対象とした病院なので、親が、子供ならではの細かいケアは全部担当していました。
同病院では車いすでの生活を中心としたリハビリを8週間行いました。
心理の訓練(高次脳機能障害のための訓練)で出されたプリントをやりきる集中力がない。杖を使った訓練をするが、足のもつれ、バランスの悪さからいつ転倒してもおかしくないため、介助者は常に手を添えて とっさの対応ができるようにして練習させなければなりません。
また、集中力、意欲、計画性などがダメになっているようで、すべての行動、訓練、課題には、常に見守り、励まし、声をかけ、気持ちを集中させること、やる気を長く持たせ続けることが必要でした。

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2003年10月9日~11月27日(受傷後7~8か月)
青い鳥医療センターに転院
入所してリハビリと自立のための訓練をしながら併設の「名古屋養護学校 中等部」に復学

2003年11月27日退院
自宅から名古屋養護学校に通学
名古屋市総合リハビリテーションセンターに通院してリハビリ

2004年4月~
地元の山田東中学校に親子通学




あゆみ【リハビリ編】母の記録より

病院でのリハビリ=PT(運動療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)、心理(高次脳機能障害のための訓練:名古屋市総合リハビリテーションセンターのみ)のほか、脳の回復に良いと言われることを、今までなじみがあったことを中心にはたらきかけをしました。友人、知人との触れ合いは卓哉の「社会性のリハビリ」でした。(母の記録より)

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2003年
入院中も外泊許可が出ると、できるだけ卓哉の記憶を呼び覚ますような友人に会いに行ったり、今まで習っていたおけいこの先生の所に連れて行きました。
コミュニケーションがうまく取れないのと、転倒の危険、道がわからない、注意欠陥などのため、どこに行くにもいつも親子で一緒です。
   ・名古屋少年少女合唱団の練習の見学(以前からおせわになっていたところ)
   ・谷口泉先生の絵画教室で製作(〃)~現在も継続中
   ・整体、マッサージ、ボディトレーニング(新規)…現在も継続中
            「高田長生院」「ラヴィ」「ぐっとらーく」
退院後
   ・光学習塾(以前からお世話になっていたところ)…中3まで継続
   ・大野木小学校の音楽部-和太鼓の練習に参加(〃)
   ・ポテトクラブ―英会話(〃)…中3まで継続
   ・科学館サイエンスクラブ(〃)…中3まで継続
   ・公文(新規)…
         簡単な問題を何度もやることは、卓哉にとってとても苦しく一か月しか続けられなかった。
   ・七田チャイルドアカデミー(新規)中2まで
   ・前津児童館の将棋教室(新規)中3まで
その他
   魚釣り、分杭峠ゼロ磁場へ家族で出かける   など

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あゆみ【天国の特別な子供】/エドナ・マシミラ
この詩に出合い、自分たちの気持ちを強く持つことができるようになりました(父と母)


会議が開かれました
地球からはるか遠くで。

“また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。

“この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかして この子の思うことは
なかなか分かってもらえないかもしれません。
何をやっても うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは この子がどこに生まれるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が しあわせなものとなるように
どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。

その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。

やがて二人は 自分たちに与えられた特別の
神の思召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこの尊い授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです“

『親から子へ伝えたい17の詩』より








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